ふるさと歴史センター第149回企画展「第29回新庄のひなまつり展」
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■と き 平成24年1月28日(土)〜平成24年4月2日(月)午前9時〜午後4時30分
■ところ 新庄ふるさと歴史センター 歴史民俗資料館(展示ホール) 2階
■新庄地方のひなまつり
桃の節句は、室町時代に、一切の病気や苦痛を人形に背負わせ、 川に流した「雛流し」に由来するといわれています。現在のような雛まつりになったのは、明治時代になってからのようです。
新庄地方の雛まつりは、 まだ旧の節句で、4月3日に行う家もあるようですが、家にあるだけの雛や人形をみんな飾り、周りに錦絵を配するのが特徴です。雛まつりに加われない人形がいては、かわいそうだからです。
こどもたちは ”おひなさん見、きあんした”と、家々を訪問してまわり、新庄名物の「くじらもち」や甘酒などをごちそうになりました。
(絵 『かつろく思い出の四季』から)
■新庄藩主ゆかりの雛人形〜島津家からの雛道具〜
新庄は、 江戸時代の247年間を藩主・戸沢氏が治めた城下町です。そのため、藩主ゆかりの雛人形や雛道具がたくさん残されており、特に10代戸沢正令(まさよし)の正室・桃齢院(とうれいいん)が輿入れした時(天保3年/1832)に持参したものは、 多く伝えられています。
桃齢院は、薩摩藩島津家の出身で、13代徳川家定の正室・天璋院(篤姫)の大叔母にあたります。 桃齢院の雛道具には、 島津家の家紋マルに十の字が記されており、島津家から輿入れした際に持参したものといわれています。それらは藩で功績のあった家臣に分け与えられたようですが、琉球人形も、薩摩藩とのつながりからこの地にもたらされたものと思われます。
■最上川舟運と雛人形
紅花商人などが最上川を下り、物資を京都へ運んだ最盛期が、享保年間(1716〜1736)にあたります。
この時代は、大形の雛人形を作ることがはやり、 豪商たちは競って大きな雛人形を買いそろえました。 そのため、舟運で栄えた河北町や大石田、 酒田など県内の旧家には享保雛が数多く飾られ、今まで残されてきたのです。そうした影響か、新庄の旧家にも享保雛が残っており、この会場入口を飾る三原家の大形雛は高さが70cmもあって、日本でも最大級の大きな雛人形になるようです。




