2014youran-h
15/22

七所明神社角沢まかどの地蔵ゆめりあ新庄藩主戸沢家墓所山屋セミナーハウス奥羽金沢温泉新庄中核工業団地新庄サイクルスポーツセンター川田泉最上川川田新升形川国 道 13 号うぜんぜんなみますがたみなみしんじょうしんじょういずみた●旧矢作家住宅横根山工業団地↑秋田↑秋田↑真室川←酒田←酒田←戸沢村西山の丘●❽●新庄城址●新庄市エコロジーガーデン まゆの郷●●芭蕉乗船の地●八向楯●←鮭川↑鮭川●●❾●❾七所明神社 本合海●●●●山 形 新 幹 線奥 羽 本 線尾花沢新庄道路陸 羽 東 線新庄南バイパス陸 羽 西 線国 道 47 号国 道 13 号↓山形●かむてん公園あじさい園●❾七所明神社升形●❾七所明神社戸沢村●❾七所明神社鮭川村(京塚)新庄市浄水場●新庄東山焼●丸仏♨●❹●❺●❻ 判官神社●柳の清水新庄北道路●あじさいの杜鳥越八幡宮七所明神社 鳥越陣峰市民の森15平たんな土地であることや、陸軍の軍馬補給部があり、土地の確保がしやすかったからではないかと言われています。●❽西山の丘 新庄藩2代藩主正誠とその子が眠る桂嶽寺の隣、静かな林の中に、石碑や胸像がひっそりと並んでいます。その場所から見ると、市内が一望できたことから「西山の丘」とも呼ばれる場所で、並んでいるのは、「小磯國昭の墓」、「堤林数衛の胸像」、「安あ島じま直なお円のぶの顕彰碑」です。 中央が「小磯國昭の墓」。小磯國昭は新庄にゆかりがあり、山形県で唯一、内閣総理大臣となった人です。彼は、東条内閣の後、太平洋戦争の敗戦色が濃くなった昭和19年に総理大臣となりました。戦後A級戦犯として終身禁固刑に処せられ、70歳で拘置所内で亡くなりましたが、彼を慕う人も多く、昭和31年、有志によってこの墓が建立されました。 向かって左が、「堤林数衛」の胸像です。彼は明治6年に市内宮内町に生まれ、苦学を経て、旧オランダ領東インド貿易の先駆的役割を果たした人です。台湾に渡り、炭鉱の発見で富を得た彼は、明治42年ジャワ島で「南洋商会」を設立し成功を収めました。南洋各地に40カ所の営業所を持ち、大規模な農園経営まで行っていましたが、その後の世界的経済恐慌で商会は解散しました。この胸像は、当時の社員たちで組織する全国組織「ジャカルタ友の会」などが、昭和51年、彼をしのんでここに建てたものです。 向かって右には、新庄藩士で関流中興の祖と称される和算家・安島直円の顕彰碑があります。平成10年、その功績を後世に伝えようと建立されました。和算とは、江戸時代に発達した日本独自の数学のことです。江戸時代前期に盛んだった関流和算を学んだ彼は、師も驚くほどの秀才で、歴代の和算家でも三本指に入ると言われています。●❾七所明神社 市内に数ある神社のうち、そのいわれが衝撃的な七所明神社。 応神天皇の第二皇子大山守命が皇位継承のもつれで東国に逃れました。その後、追っ手に捕えられた彼は、遺体を七つに切って祀ってほしいと頼んだのだそうです。しかし追っ手は、誤って八つに切ってしまいました。七つの遺骸は新庄を中心に七か所(市内宮内に頭、升形に胴、鳥越に左手、角沢に右手、本合海に男根、鮭川村京塚に左足、戸沢村松坂に右足)に葬られ、余った一つは投げ捨てられたといいます。本合海の神社は火災で焼失しましたが、それ以外は今も社が建っています。また、余った一つを捨てたのが現在の尾花沢市名木(投げ)沢といわれています。●源義経ゆかりの場所 義経が、どのようなルートで京から平泉まで落ち延びたか、詳しい史実はわかりません。しかし、当市周辺には、義経にまつわる伝説が残っており、それによると、一行は、羽黒山から最上川をさかのぼり、現在の市内本合海で下船。関所があった今の最上郡舟形町を避け、市内鳥越、休場を通り、亀割山を越えて平泉へ向かったといわれています。 夜明け頃に義経一行が通りかかったときに、里から鳥の声が聞こえてきたといわれる「鳥越」という地名や、一行が休憩をとった場所といわれる「休場」の地名、弁慶が、疲れてうとうと眠ってしまった場所「うと坂」などが伝わっています。休場には、義経を祀った「判官神社」が今も残っています。●土とともに生きた人、 松田甚次郎 国指定重要文化財、鳥越八幡神社境内に、松田甚次郎の胸像と、その功績が記された碑が静かに立っています。 明治42年に市内鳥越に生まれた彼は、崇拝していた宮沢賢治を訪ね、そのときに受けた「小作人たれ」、「農村劇をやれ」という言葉を生涯にわたり実行しました。仲間とともに土と農村を真剣に研究し、その実践記録「土に叫ぶ」は高い評価を受けました。また、師・宮沢賢治の作品集『宮沢賢治名作選』を出版し、これが賢治の文学や思想を広めることになりました。●芭蕉と曽良の陶像 芭蕉の紀行文「おくのほそ道」では、新庄を素通りして庄内に行った〈新庄市の概要〉▪位置東経140°18’18” 北緯38°45’43” 海抜97.7m(南本町十字路付近)▪面積223.08km2▪気象平均気温10.8℃(最高8月15日34.1℃、最低2月26日ー10.6℃)最大積雪深208cm ※いずれも平成25年の数値(山形地方気象台調査より)▪人口 37,853人(男17,959人、女19,894人) ※平成26年4月30日住民基本台帳より▪人口動態自然増 ー176人(出生303人、死亡479人)  社会増 ー131人(転入1,234人、転出1,365人) ※平成25年度住民基本台帳より

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 15

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です