2014youran-h
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4 新庄市は、戦後間もない昭和二十四年に誕生しました。農業水利事業や国道の改良、地下資源・林産資源の開発などからなる総合開発を積極的に推し進めて戦後復興を果たし、さらには社会基盤の整備に努め、昭和五十年代には市民生活の充実を図る文化会館などの施設も完成。平成十一年には山形新幹線が新庄まで延伸するなど時代とともに暮らしの豊かさが増していきました。 市のルーツをさかのぼれば、藩政時代の戸沢家の治世にたどりつきます。国指定重要無形民俗文化財の「新庄まつり」は、新庄藩の五代藩主が始めた世直しのまつりが起源。新庄の伝統工芸品である新庄東山焼や亀綾織も、その発祥に戸沢家が関わっています。 市制施行から六十五年を迎えた新庄市。人間でいえば六十歳の還暦を迎えて生まれ変わり、新たな次のステップに移るときです。温故知新を忘れず、これまでの足跡を見つめ直しつつ、未来への知恵を見いだします。■市の花・市の木 市制施行35周年の昭和59年、市民へのアンケートをもとに選定されました。順応性に富み、たくましい生命力を持つアジサイを新庄市の花とし、大地に深く根をはり、一直線にそびえるモミの木の姿に、未来に躍進する新庄の希望、愛情を重ね合わせ、市の木としました。■新庄市章と市民歌 昭和24年の市制施行を祝う記念式典に向け、新庄市章と市民歌(歌詞)の募集を、山形新聞社と共同で行いました。県内外から多くの応募があり、現在の市章と市民歌が定められました。市章は、当市が雪で有名という視点から、外郭を雪の結晶で型取り、中央は新庄の新をモチーフとしたデザインとなりました。 市民歌は、山梨県から応募した安藤壮一氏の作品が採用されましたが、その内容は、鉄道が交差する交通の要衝新庄、名所旧蹟に富む城下町新庄、そして新興都市として飛翔せんとする新庄の意気込みが込められています。作曲は「ヒップヒップフレー」でおなじみのスポーツ県民歌の作曲者、古関裕而氏に依頼して完成しました。◎詳しくは、http//:city.shinjo.yamagata.jp/5298.html ※このページで、市民歌を聴くこともできます。102030401949(昭和24年) 4月/市制施行。県内5番目の市となる1951(昭和26年) 12月/国土総合開発特定地域指定。戦後復興が本格的にはじまる。1955(昭和30年) 1月/現市庁舎完成 4月/萩野村を合併 8月/全国高等学校野球選手権大会甲子園に新庄北高初出場1956(昭和31年) 9月/八向村を編入合併 11月/上水道給水開始1966(昭和41年) 12月/県内初の消雪道路が駅前通りに完成1967(昭和42年) 12月/国道13号新庄バイパス鳥越~泉田間が開通1968(昭和43年) 12月/全国2番目の無雪都市宣言1969(昭和44年)12月/旧矢作家住宅が国重要文化財に指定1970(昭和45年)11月/最上広域市町村圏事務組合設立1971(昭和46年)4月/最上広域消防本部、消防署発足1972(昭和47年)2月/第1回新庄雪まつり開催1974(昭和49年)2月/豪雪、最深積雪236センチ8月/8・1水害、雨量205ミリ・被害額約36億円1975(昭和50年)7月/新庄サイクルスポーツセンター完成1977(昭和52年)7月/陸上競技場完成1979(昭和54年)3月/第1次新庄市振興計画策定4月/新庄横根山工業団地分譲開始6月/市民憲章制定1981(昭和56年)10月/市民文化会館開館1983(昭和58年)11月/新庄ふるさと歴史センター開館1984(昭和59年)3月/平和都市宣言6月/市の木「モミ」・市の花「アジサイ」を制定7月/新庄中核工業団地分譲開始1986(昭和61年)8月/岡山県新庄村・奈良県新庄町(現葛城市)と友好自治体盟約締結12月/鳥越八幡神社が国重要文化財に指定1987(昭和62年)5月/新庄藩主戸沢家墓所が国史跡に指定10月/第1回もがみ大産業まつり開催1988(昭和63年)8月/市立図書館開館1949年(昭和24年)1959年(昭和34年)1969年(昭和44年)1979年(昭和54年)1989年(平成元年)新庄バイパス開通県内初の消雪道路完成新庄雪まつり開催8・1水害新庄横根山・中核工業団地分譲開始市制施行国土総合開発特定地域指定テップへ。

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