2014youran-h
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6かむてん 新庄市が生まれて六十五年が過ぎたそうじゃな。めでたいことじゃ。市長 そうですね。新庄のこれまでの歴史を大切にし、今いる人たちが力を合わせながら、百年、そして二百年と年を積み重ねていけたらいいですね。かむてんも生まれてから二十年。ハタチになった心境はどうですか。かむてん 新庄出身の漫画家、冨樫義博先生がわしを生みだしたのが、平成六年。当時の新庄では山形新幹線を新庄まで伸ばすという大きな目標があって、わしもみんなといろいろな所に行って新庄を宣伝したのぉ。懐かしいのぉ。二十歳といえば、人間の世界では大人の仲間入りじゃ。責任を自覚して社会のためにもがんばらねばならん。わしも、自分ができることを改めて考え、もっと新庄のためにがんばりたいのぉ。ぜひ活躍の機会を与えてもらいたいものじゃ。しかし、どんな新庄をめ昭和24年(1949)、当時の新庄町と稲舟村が合併して新庄市が誕生し、昭和30年(1955)には萩野村、翌年に八向村も編入して現在の市域になりました。市制施行から65年を迎え、さらなる発展をめざすために、まだまだ知られていない新庄の良さを再発見、再認識し、それらを育てながら、新庄市民として誇りをもって暮らしていける元気なまちを市民とともにつくりあげるべく邁進しています。ざしていけばいいのかのぉ。市長 最終的にどんなまちになるべきなのか、それはこの地に住むみんなが決めることでしょうが、私が思う理想のまちとは次の三つが実現できているまちだと思います。まず、経済活動、人の交流や物流が盛んなまち、「人行きかうまち」。二つ目として、人と人とが強く結びつき、そのつながりが市民全体に広がっているまち、「人ふれあうまち」。そして、親子や先輩後輩、師弟間のみならず、市民同士が互いに教え合い、高め合うまち、「人学びあえるまち」。この三つが実現できれば素晴らしいと思います。かむてん 市長がいつも言っていることじゃな。市長 はい。これはつまり、新庄市の「経済力」「地域力」「教育力」を高めるということです。そのことが、この地域が持つ基本的な力「地域基盤力」の向上につながり、これを土台にしてこそ、ほかの地域にも負けない「新庄の力」が産まれるものと思っています。かむてん なるほどのぉ…。市長 まずは「元気」。住む人が元気なまちは、外から見ても魅力的だと思い市長てん明日の新庄のためにがんばります!まちが元気になるような取り組みを応援したい。新庄市長 山尾順紀

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