matsudajinjiro
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甚次郎が遺したもの 卒業研究で、戦時期の農民の教育について研究したいと考えていた際に、先生から「新庄に松田甚次郎という人物がいた」と話を伺いました。いろいろと調べてみると「宮沢賢治を世に知らしめた人物」であり、当時全国的な知名度を有していたことを知りました。 私は、父が新庄市出身なので、新庄のことはある程度詳しいつもりでいましたが、松田甚次郎という人物は全く知りませんでした。私が無知なのかと新庄市出身の同世代の友人数名に聞いてみても、誰も存じておらず不思議に思いました。 甚次郎の認知度の低下はなぜ起こったのか、当時はどのように評価されていて、現在はどのように変化したのか。そして何を成した人間なのか。さまざまな点で興味を引かれ、研究をはじめました。 若者が地元を活性化させるために周囲から非難されながらも自発的に活動し、自分一人で上手くいかないときには教えを乞い改善していくことはとても難しいことであり、それを生涯やり続けた甚次郎を現在の若者は見習わねばならないだろうな、ということを研究を通じて強く感じました。 新庄に限らず、大学進学などで地元を離れ、そのまま就職する若者は多いですが、やはり、地元を活性化するためには若者の力が必要だと思います。しかし、私も含め若者は自発的に活動すること、他者、特に年配者に教えを乞うことを苦手とする人が多いような気がしております。ですが、これからの地域づくりを担う私たちは現状を改善していくためには先人の知恵に学ばねばならない場面が多々あり。甚次郎のように積極性を備え、人の意見を自分の活動に取り入れていく強さを持ち合わせることがこれから必要だと思います。 甚次郎が行った一つひとつの事業は現代にそのまま用いてもあまり意味のないものが多いかもしれませんが、若者が「地元をよりよくしたい」と積極的に活動することは大切なことだと思います。最上共働村塾のように、農業体験の合宿をしながら、地元をより良くするためには何が必要か語り合う場を作ってみても楽しいかもしれませんね。 そして、私がそうであったように、「松田甚次郎」という人物の存在を知れば、興味をもつようになる人がたくさんいるような気がします。もし、興味をもった人が影響を受け地元に戻って来たり、地域活性化のためにアクションを起こしてくれたら素敵だな、と思います。時の流れで埋もれてしまった偉人や活動などを掘り起し、町おこしに用いるのは面白いと感じますし、こういった「宝」がたくさん磨かれていき、地元を誇れるようになればいいなと思います。『これからの地域づくりを担う私たちが甚次郎から学ばなければならないもの』米沢女子短期大学2年佐藤友紀1995年生まれ。山形市在住。県立米沢女子短期大学日本史学科2年生。卒業研究時、戦時期の農民教育を研究する際に松田甚次郎の存在を知る。研究発表のテーマは、「松田甚次郎の評価−山形県・鳥越村での実践から−」。本年4月からは山形大学人文学部人間文化学科に編入予定。

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