matsudajinjiro
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 甚次郎が小作人になった年、村は干ばつに襲われました。鳥越の水源である新田川は水が枯れやすく、村内では水争いがひん発しました。甚次郎は、この経験から村の人々の苦労を身をもって理解し、小作人の偉大さに心から敬虔の気持ちを抱きました。 お盆が近付いてきた頃、お祭りで芝居を上演することになり、甚次郎はこの経験を題材に台本を書きました。そして上演日、甚次郎が舞台に上がり、口上を述べました。 「わたしは鳥越を、神社を中心として住み良い美しい村にしたい。そして幸せに楽しい日々が送られるようにしたいと願う気持ちから、まず私どもの身を修めつつ楽しみつつ、また皆様方に私どもの心もちをわかっていただき、さらに協力していただき、この尊い農業を心から精出して日本のために尽くしたいのであります」 甚次郎の手作りの芝居による願いは実を結び、上演から十年後に水枯れを解決できる貯水池を建設することとなったのです。3月3日、稲舟村(現新庄市)鳥越の旧家の長男として誕生1909(明治42年)松田甚次郎 1909-1943土舞台

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