matsudajinjiro
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1938(昭和13年)1939(昭和14年)1943(昭和18年)1942(昭和17年)「土に叫ぶ」を出版、ベストセラーに。東京有楽座で「土に叫ぶ」上演宮澤賢治の作品集『宮澤賢治名作選』を出版8月、35歳で他界「野に起て」、「続・土に叫ぶ」出版 昭和8年、甚次郎は有栖川宮記念厚生資金を授与されます。この資金をもとに村人の協力を得て「鳥越隣保館」を建設し、農繁期託児所を開きました。また、共同浴場の開設、鳥越出産扶助会を結成するなどの活動を展開しました。 この頃から甚次郎の実践は全国の人々から注目され、多くの見学者が訪れるようになります。また、甚次郎の活躍は多くの新聞・雑誌によって紹介され、講演や講習会の依頼が相次ぎました。郡内はもちろん、庄内・村山地方、また県外は新潟・秋田・丹後からも講演を求められ多忙を極めましたが、疲れた体に鞭を打ち熱弁を振るいました。 昭和13年、当時農村問題に情熱を傾ける若き衆議院議員であった羽田武嗣郎(元内閣総理大臣・羽田孜の父)の強い勧めにより、過去10年間の実践記録「土に叫ぶ」を出版します。すると、全国の青年層から熱烈に歓迎され、たちまちベストセラーになりました。その後「土に叫ぶ」が東京有楽座で新国劇として上演されたこともあって、甚次郎の名は全国に知れわたり、農民の鑑と高く評価ることになりました。 次いで翌年、師・宮沢賢治の作品集『宮沢賢治名作選』を出版し、賢治の文学や思想を広く人々に知らしめるきっかけとなりました。鳥越隣保館実践記録『土に叫ぶ』出版愛郷愛土にみた理想郷

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