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環境にやさしい植物油インキを使用しています表紙の写真新庄の“んめもの”が大集合! ~第5回新庄味覚まつり~ 「第5回新庄味覚まつり」が、10月20日㈯中心商店街を会場に開催されました。開会式では、新庄チンドン団の「新庄味覚まつり音頭」に合わせ、金沢幼稚園園児も元気なかけ声と振り付けを披露しました。会場には、新庄の“んめもの”を中心に、友好都市・茨城県高萩市による牛串焼きなども登場。天候にも恵まれ、多くの方が新庄の味覚を堪能しました。平成24年11月9日号(No.659) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,000部発行9月末現在の新庄人38,598人(39,076人)女20,317人(20,532人)男18,281人(18,544人)世帯数13,744世帯(13,717世帯)9月の異動出生 22人 (23人)死亡 43人 (46人)転入 110人 (101人)転出 73人 (79人)※( )は1年前の日本人+外国人の数です。7月より住民基本台帳法の改正で外国人を含む人口集計になりました。広報11 十一月は霜月である。朝晩が寒くなり、神室山の峰も白くなる。東の山に三回雪が降ると里にも降ると、誰かが言った。旧暦十月の言い伝え「霜月 小春晴れの日が来る」、昔の豆ぶつ(打ち)空である。 農家の晩秋は忙しい。農村には昔ながらの伝統行事や、迷信と言われるような社会慣習が多く伝承されていた。時代が、教育が変わり、次々と消えてゆく。昔からの農作業の節目にまつわる祭りも精神も忘れ、田も減反政策になり米も少なくなり、農民の意欲も少なくなった。三日は文化の日、立冬も近づき寒さも一段と厳しくなる。十五日は七五三の祝い、二十二日は小雪、二十三日は戦前は新嘗祭の祝日で、天皇陛下が新穀を神にお供えして感謝をし、自分も食べる日で、家々では日の丸の旗をたて、学校も休みであった。 旧暦の十月十日は、大根年とり日と言った。大根が太くなる音がするこの日、大根を抜いたり、畑に入ってはいけない。座土神様がいるそうだ。爺の家では、毎年十日を過ぎてから採る。 「秋ナスを嫁さ食わせんな」秋になるとナスの甘みも増すから昔の悪口の諺と言われたが、アクが強いから身持ちの(妊娠している)嫁が食べると体に良くないという意味もあるようだ。 立冬に朝から雲一つない晴天は、「今日は霜荒れが来るぞ」と老人たちが言った。「ミノと笠はてんで持つ」と言った。夕暮れに嵐が来る、外で働く時にいつも一人一人ミノと笠を手に持つ。昔は労働用具であった。 十一月は大根、白菜と畑の作物を取り、昔はいぶす(いぶし)大根をたくさん作った。赤頭か赤筋の大根を、何百本も縄で編んで家の囲炉裏近くに吊るす。囲炉裏で一日中火をたいているので、十二月大掃除(ススハキ)まで吊るすと、黒い良い燻製大根ができた。農家は大根、白菜、カブ、青菜など冬に食べる漬物を二斗、三斗桶に漬け込んだ。爺が小さい頃「ヘヤミ漬け」というのがあった。小さいカブを葉ごと細かく刻んで塩漬けにした。葉漬けとも言って、冬の朝はこれを鍋に入れてお汁の実にした。大根を鉈なたで切り、米麹に漬けたのが甘みも歯ざわりもあってうまかった。今は手作りより、店に行くと何でも買って食べられる時代になった。〽 秋雨が静々と降る霜月夜寝顔冷たく 朝雪の空新庄には、今でも多くの言い伝えが残っています。「言い伝え」は、日常の生活の中で綿々と伝えられてきた、先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。 文:伊藤佐吉さん(仁田山)其の弐 「農家の晩秋」の巻▲以前は佐吉爺の家でも、いぶす大根を作るため、孫も手伝って何百本もの収穫した大根を洗っていた。(平成元年11月下旬撮影)佐吉爺に聞く新昔からの庄さきちじいの言い訓伝ええ

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