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環境にやさしい植物油インキを使用しています表紙の写真育てよう!みんなの子ども・みんなのふるさと ~新庄市教育の日「記念行事」~ 子どもたちの成長を地域全体で見守ろうと、11月の第2土曜日を新庄市教育の日「コスモスデー」としています。当日は、市民プラザを会場に記念行事が行われました。ステージでは、子どもたちが合唱やダンスなどを披露。会場にはパステル画やかむてんの色付け、フラワーアレンジなどのさまざまな体験ブースが設けられ、積み木コーナーでは、子どもたちが自分の身長より高い積み木の塔を作って楽しんでいました。平成24年12月10日号(No.660) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996‒8501 新庄市沖の町10‒37 TEL.0233‒22‒2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,000部発行10月末現在の新庄人38,606人(39,075人)女20,323人(20,537人)男18,283人(18,538人)世帯数13,754世帯(13,732世帯)10月の異動出生 22人 (21人)死亡 37人 (42人)転入 107人 (83人)転出 84人 (64人)※7月より住民基本台帳法の改正で外国人を含む人口集計になりました。( )は1年前の日本人+外国人の数です。広報12新庄には、今でも多くの言い伝えが残っています。「言い伝え」は、日常の生活の中で綿々と伝えられてきた、先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。 文:伊藤佐吉さん(仁田山)新庄には、今でも多くの言い伝えが残っています。「言い伝え」は、日常の生活の中で綿々と伝えられてきた、先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。 佐吉爺に聞く新昔からの庄さきちじいの言い訓伝ええ先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。 文:伊藤佐吉さん(仁田山)其の参 「年の暮れ」の巻〽師走月 友情絆 年賀状  十二月は師走月。一年は長いようで短く、もう年の暮れ、東の山も白くなり寒くなった。今年は近年にない猛暑、天候も大雨や竜巻など大暴れの龍年だった。この時期の隣同士の話は「今年は大雪だべがや」。小雪のうちは根雪にならない、〝クマが冬籠り、穴に入ると根雪になる〞と言い伝えられた。 旧暦の十一月三日、十三日、二十三日は大師講。爺の家では、三日は赤飯、十三日はぼた餅、二十三日は餅をお大師様にお供えした。大師講の日は天気が風雪で荒れることが多く、「大師講荒れ」と言った。 十二月七日はサンゲサンゲ。最上地方は村々で行った。行者は宿に集まり、精進潔斎して、六日七日八日と礼拝をする。出羽三山のお年越である。七日の晩は行者以外の女性も子どもも参加を許された。白装束の行者が「南無帰命頂礼、サンゲサンゲ、六根罪障…」と唱え終わると、参拝者が「七日の晩だ、押せ押せ」の掛け声で祭壇に向かって押し寄せる。大声で叫び押すと、来年は豊作家内安全と言った。行者はお供えの菓子やみかんなどをまき、大人も子どもも一緒になって拾い、無病を願い食べた。行者たちは豆腐汁と大根白菜で三日間を過ごし、酒はどぶろくを飲んだ。爺が子どもの頃は、〝サンゲサンゲ、みんごり酒。酒、酒、みんごり酒。○○(家名)豆腐で一杯飲みだい〞と叫んで怒られた。 十二日、山神様の年越しおさいど。この日は、山に登ってはならぬ。昔は子どもが家々を回り、〝山神のワラけろ〞と叫んで集めた。上級生は神木を神社の前に立て、「ワラボツ」を作って神木に掛けた。今年も山仕事も終わり、感謝と家々で餅をつきお供えする。 二十二日ごろは冬至(今年の冬至は二十一日)。陽が一年で一番短い日で、冬至かぼちゃを食べると風邪を引かないと言った。爺が子どもの頃は〝ナス木燃やして匂い嗅ぐと風邪引かぬ〞とも言った。 二十三日は、お地蔵様とお年越餅つき、おさいどである。仁田山地蔵尊おさいどは、男女子ども大勢集まる。青年たちが二つに分かれて、点火する組と消火の組で走り回り、点火は九時ごろになる。天をこがすように燃え、みんなが輪になり顔が赤く炎に照らされ、今年も何事もなかったと感謝する。〽年の暮れ 孫の手をかり 障子貼る▲仁田山地区のおさいど (昭和63年佐吉爺撮影)

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