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環境にやさしい植物油インキを使用しています表紙の写真新庄まつり山車ラッピングトラック発進! 新庄まつりの知名度向上を図ろうと、新たに新庄まつりの山車を側面にラッピングしたトラックを走行させることになり、出発式が行われました。これは、㈱佐藤運送(佐藤昭彦代表取締役社長)の協力により、首都圏等を往復する長距離トラック2台の両側側面を広告用に無償提供いただき実現したものです。出発式では、新庄まつり委員会より㈱佐藤運送に感謝状が贈呈され、泉田はやし若連による囃子の演奏に送られ、トラック2台は首都圏へ向け出発しました。平成25年1月10日号(No.661) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,000部発行11月末現在の新庄人38,570(39,030人)女20,295人(20,513人)男18,275人(18,517人)世帯数13,739世帯(13,720世帯)11月の異動出生 30人 (25人)死亡 33人 (45人)転入 61人 (55人)転出 82人 (80人)※7月より住民基本台帳法の改正で外国人を含む人口集計になりました。( )は1年前の日本人+外国人の数です。広報1 新年明けましておめでとうございます。皆様の御多幸をお祈り申し上げます。今年は巳の年。一月は睦月、みんなが睦まじく暮らす始まりでしょう。 子どものころ、正月はお年越しの神様を拝み、祝餅やそばを食べた。今のようにテレビもラジオもなく、夜は家族でお話。外は吹雪吹く寒い夜、電気もなかったので暗い家の中、祖母とコタツに入って昔話を聞くのが喜びであった。祖母の昔話で「正月正月どっからくる、くるくる山の陰からくる。ええが、夜中に〝おそぶえ(口笛)〟ならすど窓から悪魔くるから、吹いてはならない」と言われた。 昭和四十年ごろ、テレビが見られるようになり、紅白歌合戦を見聞きする時代になり、除夜の鐘が終わると元朝参り。一年の健康を祈る。今は国旗を立てる家も少ないが、爺は祝日に忘れずに立てている。床の間の掛物を拝み、家族そろって朝飯であった。 二日は朝とろろ汁ごはんを神様にお供えして、食べる。〝とろろ八杯飯〟と言って、おいしくて何杯も食べた。消化も良く、長くのびる、〝長寿食〟と言った。 四日は初買い。村人たちは、雪道を街に出た。昔から〝初買い初売りは(お金がなくても)ワラミゴ三本背負っても行け〟と言った。同じく四日は洗濯日、初洗いと言って、〝手ぬぐい一本でもよいから洗え〟と言った。六日は朝風呂に入り、爪をやわらかくして切る。〝朝昼爪切り良いが、夜爪切りは悪い。切った爪を火に焼くと身焼くと同じでだめ〟と言った。七日は正月中食べ過ぎたので、七草汁(おかゆ)を食べる。納豆汁も食べた。〝納豆汁と吹雪の道は後が良い〟と言った。 十一日は農家の稼ぎ初め。「肥こえしょ背負い」があった。早朝に馬肥の小さいのを二個作り、新しいミノとワラ靴をはいて、荷縄で馬肥を背負い近所の田畑に行き、あき方(その年の良い方角)を向いて豊作を祈り、帰る途中、若木を取って来る。若木を囲炉裏に焚く匂いをかいで、健康で若くなれと言った。十五日は小正月。朝は雪中田植え、家ではミズ木に金袋、マユ玉などを指して、なしだんご飾りを作り、豊作を祈った。〽 元朝に 日の丸立てて お祝いか新庄には、今でも多くの言い伝えが残っています。「言い伝え」は、日常の生活の中で綿々と伝えられてきた、先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。 文:伊藤佐吉さん(仁田山)「正月の行事」の巻▲佐吉爺の家では、今でも毎年国旗を立てて新年を迎える。(昭和64年の正月/佐吉爺撮影)佐吉爺に聞く新昔からの庄さきちじいの言い訓伝ええ

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