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20新庄の言い伝え平成25年4月10日号(No.664) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,000部発行広報04春霞 花粉で目がしむ四月かな文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。佐さ吉きち爺じいに聞く新庄には、今でも多くの言い伝えが残っています。「言い伝え」は、日常の生活の中で綿々と伝えられてきた、先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。文・伊藤佐吉さん(仁田山) 四月は卯月、一日は、昔「綿ぬきの朔ついたち日」と言った。冬に着た綿入れを着替える日である。 今年も大雪が降り、二メートル以上積もった。四月になっても、家の裏や村小路は雪の城壁だ。昔から三寒四温と言うが、寒さ温かさを繰り返しながら、だんだん春に近づく。 四月五日は清明、農家は種子の塩水選だ。塩水に種子を入れ、浮いてきたものは取り除き、良い種もみを選別し、今年の豊作を祈る。〝大雪に不作(ケガズ)なし〟という諺がある。今年の一月一日は「卯の日」、昔から十二支、数え「卯」が、元日に近い年は豊作だそうだ。昭和四十九年も大雪で、四月十五日になっても田畑は雪であった。田植えは、六月中旬にできた。 昭和四十五年に減反が始まり、今年で四十年。現代は飽食時代となり、若者たちは米の大切さ知らぬ。米は主食でなくなった。 雪はやっかい物であるが、何千年の宝物でもある。山に雪が残ると、水の心配がない。日本は七割が山林であり、生活が豊かである。昔は秋に、大根、玉菜(キャベツ)、白菜、ニンジンなど土に埋めて、雪の下に貯蔵した。 春になると、何千貫の雪を背負った。〝相撲ともっこ担ぎは、一人ではできぬ〟と言って運んだ。雪の下の地面は柔らかく、土香り、ノビルコ、フキノトウ(ばっけ)など顔を出し、土の中から掘り出された野菜のおいしさは格別だ。 新庄では新暦四月三日がおひなまつり。お母さんたちは仕度で忙しい。お供えに、名物のくぢら餅とようかん、新粉もち、稲花まんじゅうなど作る。昔は、もち米五升くらい水洗いして、一晩おいて、臼や杵でつき、粉をはたいて、重労働であった。 四月四日は小学校の入学式。今年のように大雪のときは、道路に雪が残った。村中朝から雪割り仕事であった。入学式は、晴れ着に下駄ばき、肩掛けかばん(ドラン)下げ、昭和十年頃は革靴など履かなかった。 四月八日は、山屋薬師様のお祭り。各家でもちをつき、村の嫁さんたちが小さな子を背負って、お祭りに行った。薬師様は尊い神であり、社の仁王様の股をくぐると、疱瘡やはしかが軽くなると言って、嫁たちが四、五人揃って、話しながら何里も歩いて山屋まで行った。たまの息抜き、春の農休日になっていた。  四月二十九日は天長節(今は昭和の日)であった。昭和天皇の誕生日で、全校生徒が晴れ着を着て、体操場に集まり、「今日の良き日は大君の生まれたまいし良き日なり」と、天長節の歌を合唱した。昔からの訓え其の七「春の訪れ」の巻▲佐吉爺の孫の入学式の日、家の前で撮った写真。(昭和58年4月/佐吉爺撮影)

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