2013koho06
20/20

新庄の言い伝え文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。佐さ吉きち爺じいに聞く新庄には、今でも多くの言い伝えが残っています。「言い伝え」は、日常の生活の中で綿々と伝えられてきた、先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。文・伊藤佐吉さん(仁田山) 六月は暦では水無月とあるが、上旬は冷たい雨が降る。でも、雨が降ると山菜が一晩で目を出し、そして伸びる。ワラビなどは一夜で大きくなって三本頭になってしまう。梅や桜の花見が終わり、夏山紅葉を眺めつつ、足は山菜取りに向く。初夏真っ盛りの季節だ。 「里のスモモが満開になると奥山のゼンマイは盛り」、「ガザキが満開の時は笹タケノコ、アイコが盛り、田植えも盛り、カッコ鳥の鳴く声も聞こえる」と昔から言ったものだ。  田植えの前に苗をつくる。昭和三十年頃までは、水苗代に毎年四月二十日あたりに種まきであった。苗代に手で投げてまくので、風がない、静かな早朝にする。「今年は上作になるかな」と笑顔で仕事だ。田に植えられるようになるのは、まいてから四十五日後、ちょうど今ごろだ。丈夫になって良いと言って、入梅にかけて植える人たちもいた。田植えは、昔は手作業だが、今は機械植えとなった。乗用で手足を濡らすことなく、たばこを吸いながらの田植えとなった。 田植えを始める仕度は、まず酒(どぶろく)造りからであった。米が大切だったので、酒にするのは二番米であった。清酒など手が出ないので、家で五升とか一斗は造ったものだ。昔から「白酒」と言って造ったものだが、明治中期に国の法律ができ、税務署の調査が厳しくなった。時々検査に来て、発見されると罰金だ。 大昔は酒を造る「かめ」や「コガ桶」の中に、杉の新葉などを立てたという話を聞いた。現在、造り酒屋では新酒ができると杉の薬玉(くすだま)を玄関先に下げる。お祝いの酒樽鏡開きのときに使う樽は杉製である。酒と杉は昔から関係があったようだ。また、どぶろくは、神代の時代、若い巫女がもち米を何回となく噛み合わせたものを、かめに入れ、発酵させて作ったのがはじまりと聞いた。それだけ昔から造られていたということだ。 日本民族は山や川場で生活する山岳民族だったのが、山を下りて稲作を始めたという。だから山の神様を大切に祀ってきた。山の神は春になると坂を下って田畑を守る、五穀豊穣の神様となる。そこで、田植えが終わると「さなぶり」といって、神様に酒、酒の肴、盃、皿を供えた。すべて「さ」で始まるもので、これが「さなぶり」という言葉のもとになったという人もいた。縄文、弥生時代からの農耕儀礼でもあった。仁田山でも、六月十三日、古峯神社のお祭りだ。百年杉並木の、二百メートル余り続く参道をきれいにし、神社の前で、酒を飲んだ。〽古峯の 杉の木立に 我立って   先人想ひ 歴史を語る昔からの訓え其の九「田植えとどぶろく」の巻▲古峯神社の前で宴会(平成4年5月/佐吉爺撮影)平成25年6月10日号(No.666) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,000部発行広報06

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 20

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です