2013koho08
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新庄の言い伝え文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。佐さ吉きち爺じいに聞く新庄には、今でも多くの言い伝えが残っています。「言い伝え」は、日常の生活の中で綿々と伝えられてきた、先人の生活の知恵。今も残るさまざまな「言い伝え」を、季節の行事とともに佐吉爺が紹介します。文・伊藤佐吉さん(仁田山) 八月は葉月、もう葉もしっかり色濃くなっている。近年は、大雪と猛暑続きで、今年の夏も昨年と同じく暑い日ばかり。東北は馬鹿天気で雨なしの六月であった。 土用も終わって七日は立秋。立秋から秋風が吹くと言われている。昔は、村中「七なの日か日び」といって、早朝からお墓掃除でにぎやかな日だった。また、十日市もあった。「お盆の町だす(まづだす)」といって、お盆に必要なお供え品を買いに町に出たものだ。野原はキキョウが花盛り。川岸に行ってヨシを採り、編んでお供え用のお膳を作った。今はお菓子箱を供える人が多い。 十三日の夕方になると、ちょうちんを持って墓参り。暗くなるとホタルがいっぱい飛んでいるように見えた。にぎやかなお墓参りであったが、今は各々の時間に合わせてのお参りが多くなった。先祖の迎え火といって、祖父が木の皮(タッシャカワ)を焼いていたのも覚えている。子どもにとっては、新しい浴衣と下駄をもらうのが一番の楽しみで、お盆が来るから親父のいうことよく聞けと、叫ばれたもんだ。 十五日は忘れもしない敗戦の日だが、多くの村の盆祭りの日でもある。 敗戦の日は暑い夏の日で、爺は防空壕の穴を掘っていた。銃を持った米兵相手に竹槍で戦う練習などしていたが、今となっては馬鹿げた話だ。あれから六十余年が過ぎた。みんな貧しかったが、頑張って働いて、現代の、良い社会を作り上げたのだ。 また、仁田山では、敗戦に負けてばかりいられないと昭和二十二年に青年団活動が始まり、盆祭りでの素人演芸も始まった。地蔵尊祭りはその後一回も休まずに続いているが、鹿子踊をはじめ、歌や踊りでいっぱいだ。 お盆が過ぎて、新庄祭りの囃子練習の音が聞こえてくると夏もそろそろ終わりだが、「西瓜と腰巻赤いほど良い」などと言われるスイカもこのころ食べ盛りだ。 素人演芸と言えば、爺が作詞した相撲甚句があるので紹介する。〽ハー ドスコエー ドスコエ新庄名所を甚句で読めばヨー東の峯では神室山西で名高い出羽の山杢蔵の裾さ出いいでたる 昔戸沢の城下町今でも最上の中心地春は花見の鰊焼きに可愛い姉子の歌声は、新庄ブルースや新庄節夏は山車の大祭り、無形文化の大祭り新庄ばやしにうかれつつ秋は最上川舟下り あいに芭蕉が句を詠んだ流れも早き最上川 黄金たなびく田園に 酒なら天下の最上川、今でもこの世に名を残すヨオーホホイおらが国の自慢は小磯総理大臣よ〽ハー ドスコエー ドスコエ昔からの訓え其の十一「盆と素人演芸」の巻▲昭和24年の新庄まつり(昭和24年8月/佐吉爺撮影)平成25年8月8日号(No.668) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,000部発行広報08

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