2014koho06
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文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。さらに詳しい取材記は市公式ホームページでご覧になれます。温故知新庄!?故きを温ねて新庄を知る0かむてん奮闘記平成26年6月9日号(No.678) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14、000部発行広報06 升形八幡神社に「宗そう吾ご尊そん霊れい」碑がある。農民を救うために徳川家綱に直訴して打首になった千葉の佐倉宗吾を祀るものだが、市内本合海にも庄屋の不正を藩に訴えて斬罪になった斉藤祐助・樋渡佐之吉という義民がいた。二人を見捨てた村に不幸が重なり、後に積雲寺に二人の墓を建てたが、変事は収まらず、さらに二人を祐佐神社に祀り怨念を払った。 また、鳥越の庄屋刈谷伊兵衛も凶作の年に藩主に飯米の給与を願い出て村人を救ったが、直訴をしたために処刑された。後に村人が建てた墓が鳥越願成寺跡にある。天保の凶作では金沢町惣代長倉治作が、藩主に願い出て藩米を借りてその急場をしのぎ、後のために備米もした。町民はその徳を忘れまいと長倉神社を建立した。仁間水神宮にも明治の凶作で村人を救済した浅沼甚左衛門・常吉の報恩碑がある。これらの遺跡を訪ね、新庄にもあった義民の精神を感じ取ってはどうだろうか。新庄の義民伝説 その昔、百姓などの一般の民が殿様に直接意見をいうと処罰されたんじゃ。それでも、みんなのために私財や生命を賭して、処罰覚悟で陳情をする人たちが新庄にも数多くおったんじゃよ。 そういった人たちを「義民」と呼んで、今でも地域で祀られとるんじゃ。かむてん奮闘記検索新庄市地理情報システムで周辺地図がご覧になれます。新庄の義民を巡る㊤ 升形八幡神社の宗吾尊霊碑㊧ 祐佐神社のある八向公園(本合海)㊥ 長倉神社(金沢八幡神社隣)㊨ 刈谷伊兵衛の墓(鳥越)新庄の義民遺跡

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