2014koho07
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■子どもたちへの思い上村 最上学童展で、一人で千点以上の作品を、丁寧に審査する先生の姿が忘れられません。また、先ほどお話にあったように、当時の図工美術教員の中心だった佐藤先生たちは、準備中にいろいろと怒られていて、先生の厳しい一面を垣間見ましたが、子どもたちの作品を見ると一転して、「これいいねぇ」「めんこいなぁ」とニコニコしていたのも印象に残っています。後ろで作品を運ぶ、私たち若い教員にも、「ご苦労さんだなぁ」と声がけしてくれたのも覚えています。優しい人柄に加えて、厳しくすべきは厳しくすることを思うと、「愛」あっての厳しさと思います。佐藤 先生は少年美術館を建てたいという夢を持っていました。子どもへの思いは、先生の原点の一つなのだと思います。半田 子どもがかわいかったのでしょう。作品に子どもが多く出てくるのもその表れと思います。 最上学童展のことは今でも思い出します。最初のころはパネルなどもなくて、代わりに二脚の長椅子を荒縄で固定したものを使ったり、準備が大変でした。でも楽しい思い出ですし、先生も最後まで付き合ってくれました。先生は審査委員長として、第五十回までほとんど欠かさず来てくれ、温泉宿に泊まるのを、いつも楽しみにしていたのも覚えています。高橋 私が初めて先生にお会いしたのは、当時勤めていた放送局の番組で最上学童展キャラバンを取材したときでした。外国と日本の子どもたちがそれぞれ描いた絵を見せたり、金魚すくいをしたり。教科書で難しいことを教えるのではなく、遊びの中から美術の情操を育むものでした。講義ではなく、子どもと同じ目線で一緒に楽しい活動をするだけですから、子どもたちは偉い先生だとは思っていなかったのかもしれません。■記念展を前に思うこと半田 個人的に一番興味深いのはガラス絵ですね。ガラス絵は作品を裏から描いていくという独特なもので、その複雑さから取り組む人が少ない技法です。ちなみに、紙に裏から描いてもおもしろい効果が出ます。先生にそのやり方を教えてもらい、私もその技法を使うことがあります。佐藤 私は、何もかも近岡先生から学びました。とにかく先生が使うものと同じものが欲しかったし、いろいろとまねもしました。こんな私にとって、百周年展の開催は、本当に感無量です。上村 先生が最後に最上学童展の審査委員長を務めた第五十回展(平成十年度)の審査のとき、牛を世話している絵や、子どもが野山で遊んでいる絵を見てとても喜んでいました。その後の講評で、新庄の特長的な光景が見られなくなってきたことをとても残念がっていました。先生は生涯を通し、それらを題材にした絵を多く描いていますから、展示される絵を通して、この地域の歴史的変遷も味わえるものと思います。情念を込めて描いたこれらの絵を見て懐かしむことができると同時に、ガラス絵など、外国も含めた大都市を十分味わった先生ならではの「都会的センス」「外国の風潮」も感じることができます。こうした点が見所と思いますし、私も楽しみにしています。高橋 先生の作品を見るうえで、私が重要と思うのは、まず「西洋館」。先生が魅了され、三十年間一貫して書き続けたその思い。次にフランス留学で聖母子像や西洋の画家に触発されたのちに回帰していった「東北」や「新庄」といったテーマ。最後に、子どもたちへの思い。子どもが描かれた絵からは、どの絵にも温かいまなざしで子どもを見つめる先生の姿を感じます。ふるさとや子どもに対する「慈しみ」、そして、どの絵にも一貫して存在する「モダン」さ。これが、近岡作品のキーワードと思います。新庄市市制施行65周年記念近岡善次郎生誕100周年記念展▪とき 7月19日㈯〜8月18日㈪午前9時~午後4時30分▪ところ ふるさと歴史センター/市民プラザ◎ふるさと歴史センター TEL22-2188▶左から、上村隆士さん(千門町/最上地区図工・美術教育研究会会長、大堀小学校長)、佐藤廣さん(末広町/新庄美術協会会長、元美術教員)、高橋まゆみさん(新庄市出身/南陽市教育委員会前委員長)、半田豊さん(宮内町/白土会会員、元美術教員)7広報07

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