2014koho08
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新庄まつり259年の歴史は、それを支えてきた「人」の歴史でもあります。若連として直接祭りに関わる人もいれば、それを支える家族や町内会、神輿渡御行列や鹿子踊など、さまざまな想いが重なり合い作り上げられてきました。今回は、そんな259年目の想いを、さまざまな「私」たちに語ってもらいました。法被姿に惚れました!泉田囃子若連×新松本町若連まつりが結んだご夫婦 妻とは、もともと同じ職場だったのですが、話したこともなく、顔を知っている程度の仲でした。ある時、新松本町のビアガーデンに泉田囃子若連が出演したのですが、そこに新松本町若連として参加していた妻がいて、話すようになったのがきっかけです。新庄まつりがなければ、会話をすることもなかったと思うので、不思議な縁を感じています。(翔太さん)  子どもが生まれたばかりなので、今は若連をお休みしていますが、いつか親子で参加したいと思っています。夫は、子どもに囃子をやってほしいようですが、私は山車作りのほうに参加してほしいと思っています・・・(美恵子さん)もう諦めてますが・・・上茶屋町若連代表柿﨑俊夫さんの奥さん 私の実家は横根山だったので、嫁いできて初めて「若連」というものに関わることになりました。六月に入ると、夫はほぼ毎夜、山車制作に出かけますし、当日は親類などのお客さまも家にいらっしゃるので、その準備で本当に大変なんです・・・。それでも、頑張っている夫の姿を見ていますし、祭りにかける想いも知っているので、なるべく気分よく出かけてもらえるように心がけています。それとやっぱり法被姿の夫はカッコイイですしね。 妻としてできることはそんなに多くはありませんが、夫を支えることは、祭りを支えることにもきっとつながると思いますので、これからもできる限り応援します。好きなことに理由なんてない末広町若連 中部兄弟 もの心ついた頃から、いつの間にか祭りに参加し始めて二十数年。何でそんなに熱心にやっているのかと、聞かれることもありますが、江戸時代から続くこの祭りを「続けていくことが使命」だと感じています。毎年山車ができあがると、次の年のことを考えてしまいますが、こんな風に祭りバカになれるのも家族のおかげです。感謝!(剛さん) 新庄を離れ、東京に住んで十四年になります。毎年祭りの時期には帰省して若連に混ぜてもらっていますが、そんな私にも役割りを与えてくれ、サポートしてくれる若連の先輩方には感謝しています。東京から友達を新庄まつりに招くことがありますが、新庄まつりは今でも私の自慢なんです。この誇るべき文化を、これからもみんなと一緒にアツく盛り上げたいです。(智也さん)山科翔太さん・美恵子さん(泉田)中部 智也さん(末広町若連)中部 剛さん(末広町若連)柿﨑七恵さん・悠ゆうあ空ちゃん(上茶屋町)6

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