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文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。さらに詳しい取材記は市公式ホームページでご覧になれます。温故知新庄!?故きを温ねて新庄を知る0かむてん奮闘記平成27年1月13日号(No.685) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14、000部発行広報01 鳥越八幡神社は、初詣客が多く訪れる市内有数の神社だ。この神社の本殿は、山形城主鳥居忠政の次男で初代藩主戸沢政盛の養子になった定盛が寛永15年(1683)に造営したもので、この地方では最も古い建物だ。日光東照宮の社殿のような極彩色の豪華絢爛な建物で、0鳥居氏の威光がうかがえる。 拝殿は、定盛に代わり二代藩主となった戸沢政盛の実子である正誠が元禄4年(1691)に造営したもので、共に国重要文化財に指定されている。 この社殿は、鳥越楯大手門跡に建てられている。鳥越楯は、清水城主であった清水氏の重臣鳥越九右衛門武種の居城であった。頂上部にある愛宕神社の建っている所が主郭(本丸)で土塁や空堀で防御された堅固な山城であった。 石段の中ほどに昭和初期に鳥越を舞台に活躍した松田甚次郎先生碑と胸像がある。八幡神社は、農村運動を進める甚次郎の精神的な支柱でもあった。国重要文化財 新庄まつりは国指定無形民俗文化財に指定されておるが、他にも新庄には4つの国指定文化財があるんじゃ。 旧矢作家住宅、歴代藩主が眠る新庄藩主戸沢家墓所、八向楯、そして鳥越八幡神社じゃ。 そして、ここは昭和初期に活躍した松田甚次郎が、理想郷(イーハトーブ)を夢見て様々な実践を行った中心的な場所でもあったんじゃよ。かむてん奮闘記検索鳥越八幡神社界かい隈わいを温たずねる▲甚次郎が作った農民劇舞台「土舞台」▲松田甚次郎の胸像と石碑▲広報しんじょう平成25年12月号デジタルブック 特集:松田甚次郎

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