20150209
20/20

文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。さらに詳しい取材記は市公式ホームページでご覧になれます。温故知新庄!?故きを温ねて新庄を知る0かむてん奮闘記平成27年2月9日号(No.686) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14、000部発行広報02 嘉永年間(1848〜54)の江戸切絵図によると戸沢家には、現在の港区東麻布近辺に上屋敷が、同区南麻布と渋谷区広尾に下屋敷があった。上屋敷は、藩主とその家族や家臣の住居であり、藩の政務を行う所でもあった。ここには、藩主は参勤交代で一年ごとに、正室や嫡子は人質として常住するという決まりがあった。場所は東京アメリカンクラブの近辺になる。 下屋敷は、別邸として使われ、火急の場合の避難場所となっていた。南麻布の下屋敷は、現在、在日フランス大使館の敷地になっている。また、港区三田には、戸沢家の菩提寺である常林寺があり、藩主や家族と江戸詰めの家臣の墓がある。同寺にある和算の大家安あ嶋じま直なお円のぶの墓は、日本史上著名な人物として、東京都指定文化財旧跡に指定されている。常林寺の近くにある玉鳳寺には、戸沢家江戸屋敷の奉公人の供養塔が一基あり、墓碑いっぱいに亡くなった人たちの戒名が刻まれている。戸沢家江戸屋敷 参勤交代の制度があった江戸の時代には、日本中の藩が江戸に滞在するための屋敷をもっておったんじゃ。 その中でも、お殿様が滞在する屋敷を上屋敷と呼ぶんじゃが、戸沢家の上屋敷は、今でいう麻布の一等地にあったんじゃよ。 今はセレブな方々が集う社交クラブになっておるが、お殿様がいた時代はどんな風景だったんじゃろうな。かむてん奮闘記検索戸沢家江戸屋敷界かい隈わいを温たずねる▲新庄藩士安嶋直円の墓(東京都指定文化財)▲三田常林寺にある新庄藩主の墓◀(一社)東京アメリカンクラブ、三田常林寺のご協力により撮影をおこないました。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 20

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です