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文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。さらに詳しい取材記は市公式ホームページでご覧になれます。温故知新庄!?故きを温ねて新庄を知る0かむてん奮闘記平成27年3月9日号(No.687) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14、000部発行広報03 初代藩主戸沢政盛が茨城県高萩市から転封されたのが元和8年(1622)で、初めに真室城に入ったが寛永2年(1625)に領内の中心部に位置する新庄に城を築いて移った。 新しく築かれた城は、三層の天守櫓と、四隅に二層の隅櫓と天満宮(現存)が設けられた。 本丸は四方を堀と土手で囲まれ、中にある本丸御殿は藩主の政務や居住の場として使われた。現在は三方から本丸に入れるが、当時も同じで、東の表御門と北の裏御門からは木橋(現在は土橋)を渡り桝形の櫓門(表御門に復元された石垣がある。)を通って、南からは二の丸屋敷を経由して入った。表門にある土橋は、今では新庄まつり神輿渡御行列の見せ場になっている。城の完成まではかなりの年月を要しているが、政盛が移り住み、そこから城下町整備が始まったことから、今年は、「新庄開府三百九十年」の記念の年ということになる。新庄城跡 最上公園 ワシら新庄人にとってシンボルともいえる最上公園じゃが、もとは戸沢藩主のお城があった所だったんじゃ。 今年は、その新庄城に戸沢のお殿様が来てから390年の記念の年じゃ。 みんなも最上公園に行く機会がああったら、その歴史を感じてほしいもんじゃ。かむてん奮闘記検索「新庄開府390年」を温たずねる〜其の一〜▲当時の新庄城を描いた絵図(ふるさと歴史センター所有)▲復元された櫓門の石垣

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