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文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。さらに詳しい取材記は市公式ホームページでご覧になれます。温故知新庄!?故きを温ねて新庄を知る0かむてん奮闘記平成27年6月9日号(No.690) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 13,800部発行広報06 鉄砲町に、二代藩主正誠の正室市姫の菩提寺である松巌寺がある。市姫は、広島藩主浅野光晟の長女で、訳あって江戸から改葬された。上西山の桂嶽寺は、正誠の愛児政武の冥福を祈るために造営された。正誠は、戸沢家の菩提寺が瑞雲院であるにも関わらず桂嶽寺に政武とともに眠っている。太田にある瑞雲院は、角館時代からの菩提寺である。六棟ある歴代藩主の御廟所は、桂嶽寺にある正誠の御廟所などとともに国指定史跡になっている。隣の英照院は、政盛の娘宮子のために建てられた。政盛は、山形城主鳥居家から定盛を養子として迎えたが、若くして亡くなる。宮子は、その正室であった。その北に、今では観音堂と墓地だけが残り、英照院が管理している旧福昌寺跡がある。この寺は、正誠の長女久子のために建てられた。これらは、正誠時代に創建や再建がなされいて、莫大な費用を費やし、藩財政窮乏の一因となったようだ。菩提寺と新庄 菩提寺とは、先祖代々のお墓や位牌をおいて、菩提(死後の冥福)を弔うお寺じゃ。 新庄藩主戸沢家の菩提寺である瑞雲院の御廟所は、歴代のお殿様が祀られとって、御霊屋(おたまや)とも呼ばれておる。 ここは国の史跡にも指定されておるんじゃよ。 ご先祖様と共に新庄の歴史も流れてきたんじゃなぁ。かむてん検索「新庄開府390年」を温たずねる〜其の三〜▲桂嶽時の御廟所▲正誠愛児政武の墓▲英照院◀新庄藩主戸沢家墓所(三号棟)

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