2015koho07s
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 仁田山に住む爺は、1年生くらいの時(昭和8年ころ)は、まつりのことなどよく分からなかったが、3年生くらいになると山車が出ることを知るようになった。「今年こそまつりに行く」と父母に話したら、「手伝いを良くやれば連れて行く」と言われた。 その年、母に連れられ、朝早くから出かけた。村から2里(約8キロ)もある遠い道のりを、「まだかや、まだかや」と、母と歩いたもんだ。長年、新庄町(当時)まで、リヤカーに野菜や炭を積んで行商をしていた母に、「もうすぐだ」と言われながら、中山村(今の中山地区)を過ぎる。踏切を渡り、中山町を通って万場町に出ると、もう祭りのにぎわいだ。横町、北本町に出ると、見たこともなかった山車に出会い始め、いよいよ見物だ。大変おもしろかった。 5・6年生になると、今度は友だちと出かけるようになった。話が弾み、遠い道のりをわいわい歩いていると、途中、荷車に氷を積んだ人が、急ぎ足で通り過ぎて行った。当時、吉沢の堤に冬場に張った氷をこの時期までとっておき、祭りの出店でかき氷にして売っていたのだ。暑さで溶けて、運ぶのも大変だっただろう。天気が良いと出店もたくさん出ていた。かき氷も食べたものだ。一杯5銭くらいだったと思う。 今思えば、2里歩いてまで…とも思うが、祭りを見に行くのはそれほど楽しみだった。そして今でも、どこの町や村の人たちでも、楽しみにしているのだろうと思う。〽綿あめが 口いっぱい 子どもまつり佐吉爺のまつりの おもいで新庄まつり260年祭を記念し、ユネスコ無形文化遺産登録を祈願する3回シリーズ25月末現在の新庄人(37,847人)世帯数 13,753世帯(13,732世帯)男17,756人(17,959人)出 生26人(23人)死 亡45人(41人)転 入68人(72人)転 出84人(58人)女19,629人(19,892人)5月の異動※住民基本台帳法の改正で外国人を含む人口集計になりました。( )は1年前の日本人+外国人の数です。表紙の写真目次◎CONTENTS特集◎萩野学園の今萩野学園の今…………………4農を守る…………………8まちとぴ…………………10新庄まつり無形文化遺産登録に向けて…………………12定住自立圏形成協定締結…………………13連載…………………14〜16 課外授業のススメ !/にこにこ子育てQ&A しんじょう図書委員会/新庄市地域おこし協力隊通信 6次産業奮闘中!おしらせ+プラス………………………17おしらせ……………………18温故知新庄!?……………………20広報07 2015 SHINJO PUBLIC RELATIONS NO.691 4月に開校した萩野学園では、施設一体型の小中一貫校という特徴を生かし、異学年交流に力を入れています。給食も、異学年が同時に行えるよう工夫し、学年の組み合わせを変えながら楽しく食事をしています。表紙の子どもたちは3年生、この日は、6〜8(中2)年生も一緒の昼食で、メニューはカレー。おいしそうに食べる姿が印象的でした。「おかわりっ !」▲昭和24年ころの新庄まつり(爺が撮影したもの)

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