2015koho08s
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 毎年8月26日、鹿子踊が戸沢神社と護国神社に奉納される。今は、爺が住む仁田山と萩野の2組しかないが、昔はほかにも鹿子踊の団体が何組かあり、町中でも踊っていた。明治時代の写真が残っている。 昭和20年、第2次世界大戦の敗戦で仁田山も寂しくなった。爺は村の星川さんと話し、男女一緒の青年団を作って演芸大会を始めることにした。そして、仲間7人で鹿子踊の練習を始めた。出征で踊り手がいなくなり、古老たちに踊りを教えてもらうため、爺が頼みに行った。その頃は戦争の影響で外灯が無く、消防小屋の明かりの前で口伝で教わった。踊りは、「ザンコザンザン」という太鼓たたきで始まる。一人前になるには60日と言われた。新庄まつりに先立ち、8月15日に村祭りで踊る。まず、天平時代に大野東人将軍から頂いた巻物がある助十郎(屋号)家で踊る。「巻物いただき」という儀礼で、鹿子踊の起源に関係するとも言われる。次に村の地蔵様に奉納踊りだ。 昭和25年頃に、集団就職で若者たちが村を出てしまったので、鹿子踊の仲間は爺と星川さんだけになってしまった。しかし、前に踊っていた人たちが戦地から戻り、一緒に続けることができた。昭和43年には、村の長男を集めて教え、跡継ぎを作った。そして昭和45年、全国青年大会(郷土芸能)に山形県代表として出場し、最優秀賞となった。時の文部大臣、坂田道太先生から、賞状と、「春は花冬は雪」と書いた色紙を頂いた。 今、仁田山鹿子踊は、30代の踊り手が15人もいる。村祭りや新庄まつりでの踊りも、次の世に続いていくことだろう。佐吉爺のまつりの おもいで新庄まつり260年祭を記念し、ユネスコ無形文化遺産登録を祈願する3回シリーズ26月末現在の新庄人(37,823人)世帯数 13,741世帯(13,735世帯)男17,750人(17,941人)出 生32人(24人)死 亡30人(32人)転 入43人(71人)転 出63人(82人)女19,615人(19,882人)6月の異動※住民基本台帳法の改正で外国人を含む人口集計になりました。( )は1年前の日本人+外国人の数です。表紙の写真目次◎CONTENTS特集◎新庄まつり260年記念特集260年目の心技体一子相伝受け継がれるまつりの技…………………4マツリックビューイング・フォトコンテスト…………………8ふるさと納税…………………9まちとぴ…………………10上水道・下水道…………………12連載…………………14〜16 課外授業のススメ !/にこにこ子育てQ&A しんじょう図書委員会/新庄市地域おこし協力隊通信 6次産業奮闘中!おしらせ+プラス………………………17おしらせ……………………18温故知新庄!?……………………20広報08 2015 SHINJO PUBLIC RELATIONS NO.692 今年、260年を迎える新庄まつり。長い年月を経て、今なお市民の心のよりどころとなっていることは、まつりに対する思いや、山車の制作や囃子の演奏などのさまざまな技術が、正しく受け継がれてきた証とも言えます。 新庄まつりの人形の頭(かしら)を130年以上も手掛けている野川家でも、同家4代目となる、2代北山氏が、その心と技を継承しています。伝承 心と技▲昭和45年、全国青年大会での様子平成10年8月号の表紙は野川家3代目、2代陽山氏。

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