2015koho08s
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 野川家は四代、130年以上にわたり文楽人形をはじめ、劇人形、能面、人形制作をしている彫刻師の家系です。 野川家の初代 野川音治氏(初代 北山)は明治2年に山形県尾花沢市に生まれました。その後、東京の人形師 神保平五郎に弟子入りし、10年余りの修業を経て弟子の中からただ1人、人形師を継承することを許されました。 人形師として尾花沢に戻った音治は、北山の号で人形の創作にあたり、その評判はすぐに新庄市にまで伝わります。そして、最上随一の祭りとして知られる「新庄まつり」の山車人形制作を依頼され、以来100年以上にわたる新庄まつりと野川家の歴史が始まりました。 そして一子相伝の技は、現在、四代目 野川北山(二代北山)氏へと受け継がれています。 次頁からは、そんな野川北山氏へのインタビューを掲載しています。野川家四代目 野のがわ川 北ほくざん山(二代北山) 昭和52年3月宮城県仙台市で生まれる。 平成19年、30歳で二代北山を襲名し、以来、年の半分以上を堀端町の作業場で過ごす。 主な作品は、能面のほか、新庄まつり山車の人形や、近隣の山車祭り(金山・清川・横手など)の人形も手がける。 作品は、新庄ふるさと歴史センターにも展示されている。4野川家一三〇年の歴史は新庄まつりと共に歩んだ一子相伝〜受け継がれるまつりの技〜豪華絢爛な新庄まつり山車。その20台のすべての人形を手がけるのが、人形師・能面師 野川家です。新庄まつり二六〇年祭に向け、製作作業が山場を迎えているなか、野川家四代目である、野川北山氏に受け継がれてきた人形制作の技や新庄まつりへの想いを伺いました。

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