2015koho08s
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私の新庄まつりは二十四日の山車出発で終わる︱人形師としての新庄まつりとは 山車制作に関わる方々も同じように言われますが、私の新庄まつりは、24日の午前中、山車が山車小屋から出発したときに終わります。 そこからの主役は、若連や運営に携わる人たちです。︱山車出発のときはどういった感覚なのですか 私にとって人形は、家族というか、子どもに近い感覚なので、「皆さんからしっかり見てきてもらえよ!」と送り出します。実は人形も、多くの人に見られて成長していくのです。︱なるほど。人形以外では、新庄まつりにどのように関わっているのですか  全20町内の方々と、その年の山車に飾る人形について打合せをします。その他にも、いくつかの町内では、着付けまで野川家で担当しています。また、人形の配置や山車全体のバランスなどについても、アドバイスすることがあります。大切なことは『時代考証』そして現代との融合︱新庄まつりの技術継承について、どう感じていますか 各若連とも、世代を越えてその技術が継承されていると思います。そして山車の製作能力も、材料と道具の進歩と合わさり、非常に向上していると思います。 じゃあ、昔の山車は駄目だったのか、というとそれは違います。昔は昔で、その時代にあった山車を製作していますので、写真などで今見ても、絢爛さはまったく損なわれていませんし、勇壮さなどもまったく引けをとっていません。 一時期、山車の「見てくれ」だけが重視される風潮にありましたが、新庄まつり山車で大切なことは『時代考証』だと考えています。その山車の風流にどういった時代背景があるのか、そしてその場面にどういった意味があるのか、それは歴史的に正しいのかどうか、そういった部分にこそ魂が宿るのだと思います。そして、これらを踏まえた上で、現代にあわせたアレンジをしていくことが必要だと感じています。 近年は、そういったことを踏まえて人形を選択する若連が多いので、とてもいい方向に進んでいると思います。新庄まつりという文化は市民一人一人で作り上げる文化ー新庄まつりを「文化」として見た場合どう感じますか 新庄まつりの山車は、市民一人一人で作り上げる巨大な作品ですが、それ桐の原木◀◀◀木取り粗削り6人形のできるまで 材料には、渋を抜いて乾燥させておいた「桐」の原木を使う。人形のかしらには直径30cm以上の大きなものを使用する。そしてまず始めに、大ざっぱな寸法をとっていく「木取り」という作業から入る。木取りを行い、顔と首の割合を決めた後、チョンナと呼ばれる手斧で粗削りをしていく。 そして目と口、鼻、耳のポジションを決め、鑿(ノミ)で彫り進める。その時、最初に彫るのが目である。顔の表情を生かすも殺すも目であることから、彫りは「目で始まり、目で終わる。」

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