2015koho09s
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文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。さらに詳しい取材記は市公式ホームページでご覧になれます。温故知新庄!?故きを温ねて新庄を知る0かむてん奮闘記平成27年9月9日号(No.693) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 13,900部発行広報09 戸沢氏の始祖衡これもり盛は、保元の乱で平清盛に敗れた平忠正の孫で、寿永3年(1184年)、奥州に逃れ、後に滴石庄戸沢(雫石町)を領有し、滴石古館を拠点とした。二代兼盛の時に仙北に移るが、滴石にも戸沢氏が残り、氏神である沼田神社がある戸沢館で、天文9年(1540年)までいたとされている。 仙北に移った戸沢氏は、初めは鳳ほうせんだい仙台に、その後、西下戸沢の戸沢館に、さらに門屋城に居を移し周辺の国人領主を征して、約200年後に十三代家盛が角館城に進出した。そして、藩祖政盛の父十九代盛安の活躍により、現在の大仙市・仙北市・美郷町の北浦郡を領有する戦国大名になっていく。 戸沢氏は代々辺境にありながらも信長、秀吉、家康といった覇者と関係を結び、政盛は、関ケ原の戦いの論功により常陸国に転封する。初め江戸に近い小川城(小美玉市)に入城し慶長11年(1607年)までの4年間を過ごした。その後、多賀郡松岡(高萩市)に移り竜子山城を修築して松岡城を築き、城下町の整備も行ったが、元和9年(1623年)、新庄へ国替えとなった。戸沢氏の歴史 新庄の開祖でもある、戸沢一族は、日本全国さまざまな土地をまわって新庄に藩を作るに至ったんじゃ。 そして、その戸沢氏にルーツをもつ岩手県雫石町、秋田県仙北市、茨城県高萩市・小美玉市と新庄市は、年に1度集まって戸沢家を顕彰するためのサミットを行っているんじゃ。 他にも、高萩市と新庄市は毎年相互に児童交流事業を行っていて、今でもその繋がりは続いているんじゃよ。かむてん検索戸沢サミットを巡る▲高萩市復興産業市を訪れたかむてん▲昨年度新庄市で行った第2回戸沢サミット▲今年度仙北市で行った第3回戸沢サミット児童交流で新庄を訪れた高萩市の子どもたち(8月21日)

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