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しんじょう広報部平成27年11月9日号(No.695) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 13,800部発行広報11 昭和19年、太平洋戦争終戦間際に東条首相から引き継いで第41代内閣総理大臣となったのが、小磯国昭です。 彼は、明治13年に旧新庄藩士の長男として宇都宮に生まれました。官員(現在でいう国家公務員)だった父の影響で日本各地を転々としましたが、彼が9歳の時、父が故郷最上郡の郡長となったことで、新庄に戻ってきました。 その後、現在の山形東高校に進んだ彼は、新庄・最上出身者の仲間たちと共に、「葛麓寮」で暮らし、休みの日には新庄に帰って故郷に親しんだそうです。 卒業後、陸軍士官学校へ進学し、軍人として日露戦争などを経験。昭和12年に陸軍大将、翌々年には平沼内閣の大臣として入閣しました。そして昭和19年7月22日、敗色濃厚な戦況のなか内閣総理大臣となりました。 小磯首相は、この状況を何とかすべく、さまざまな方法で講和を試みたそうです。しかし、軍の協力を得ることができず、どうしようもない状況の中、たった9ヶ月で退陣することとなりました。 終戦後、A級戦犯として終身禁固の判決をうけ、巣鴨拘置所に収監されました。そして、昭和25年11月3日に食道がんのため、獄中で死去しました。 もし、小磯首相の行動が実を結んで、1年前に終戦を迎えることができていたら、広島や長崎の悲劇なども無かったのかもしれません。戦争に関しては、さまざまな考え方があるなかで、私たちが簡単に言えることではありませんが、せめて地元新庄の人びとには偉大な郷土の先人が何を考え、どう生きたのか知ってもらえればと思いました。チームBlossom(ブロッサム) 新庄南高等学校1年 矢口 日菜・小田原 愛莉・土田 有紗・奥山 思温故知新庄!?0かむてん奮闘記Vol.❷ 小磯国昭を訪ねる文字を見やすくしました本文にモリサワユニバーサルフォントを使用しています。研究家の小野正一さんにインタビュー葛山鴻爪?何と読むんだろう?小磯国昭ってどんな人だったんですか?西山の丘(下西山)にある小磯国昭の墓を参拝❶❷❸①小磯国昭の勲一等旭日大綬章と勲一等瑞宝章②小磯国昭の愛刀 備州長船法光③小磯国昭の肖像写真取材させていただきます!

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