2016koho07
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4漫画家 阿部ゆたか氏 新庄中学校出身。1979年第2回ひとみ新人まんが賞で佳作を受賞し漫画家デビュー。 講談社の月間少女漫画雑誌「なかよし」などで連載をもった。以降は、大学の後輩で 小学館の週刊少年漫画雑誌「サンデー」に連載中の人気漫画「名探偵コナン」の作者 青山剛昌氏の誘いで、小学生版や劇場版の「名探偵コナン」の作画などを手がけるほか、漫画専門大学の講師など多彩な経歴をもつ。代表作は「ドラゴンクエスト 精霊ルビス伝説」。 実家は、沖の町のパリス文化服飾専門学校。あの頃は、漫画がみんなのコミュニケーションの方法でした。ー先生方は子どもの頃、どんなお子さんでしたか。阿部先生 よく「家で漫画ばっかり書いていたんでしょう?」と言われますが、そんなことはありません!(笑)。やんちゃでしたし、子どもの頃に娯楽なんてありませんでしたから、外でばかり遊んでいました。岡田先生 私もそうですね。家が書店だったので、他の人に比べたら、本に触れる機会は多かったかもしれませんが、お城(最上公園)でスキーをしたり、今思うとアクティブな少女だったと思います。あと、スポーツではバドミントンをやっていました。ー子どもの頃の新庄の印象はいかがでしたか。岡田先生 やっぱり雪の情景が思い出されます。さっきもお話しましたが、スキーをしたり、身近にある雪で楽しんでいたように思います。阿部先生 私もそうですね。岡田先生同様、最上公園でのスキーは定番でした。ー先生方が、漫画と触れ合ったのはどんなきっかけですか。岡田先生 小学生くらいのときに、新庄出身の少女漫画家の先生がいらっしゃたんですよ。阿部先生 私も覚えています。松井由美子先生ですよね。岡田先生 そうです。『なかよし」(講談社)に連載を持ってらっしゃったんですが、後で高校の同級生のお姉さんと知り、とても驚きました。そして、あの当時は、学校の休み時間とかに、みんなで漫画を描いて見せ合いっこをしたりしていましたよね。 そこで「りえちゃん(本名)絵うまいじゃない」と言われるととてもうれしかったので、どんどん描くようになりました。阿部先生 私もそんな感じでした。当時は周りにそういった環境があったように思います。 今の子どもたちは、スマートフォンや携帯ゲーム機でコミュニケーションを取っていると思いますが、私たちの頃は、そういったコミュニケーションの取り方をしていたので、身近に「絵を描く」という行為があったように思います。岡田先生 そして、実家が書店だったこともあって、こっそり漫画雑誌を読んで研究したりもしました。ーこっそりなんですか。阿部先生 あの時代は、漫画を読んでると親から怒られたんですよ。岡田先生 そうなんですよね。何か漫画が低俗なもののように扱われていた時代だったので、家の人にバレないようにこっそり読んでいました。自分で切り開くしかなかった漫画家という職業。ーそんな先生方が「漫画家」を目指した

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