2016koho07
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57漫画家 岡田理知氏 本名 宮岡理恵。新庄中学校出身。高校在学中の1977年に第95回別マ少女まんがスクール期待賞を受賞。卒業後、集英社の月刊少女漫画雑誌「別冊マーガレット」において、『ろまんちっくな雪の日に』で漫画家デビュー。 代表作、「本家のヨメ」は、集英社より全20巻発刊されており、2001年に日本テレビ系列で実写ドラマ化。日本のほか、アジア圏でも放映され、台湾などで大ヒットドラマとなった。 実家は、小田島町の旧日進書房。のはどういったことがきっかけなのですか。岡田先生 私の場合、そんなこんなで、絵を描くことが好きだったので、中学生の頃から出版社に漫画を投稿していました。そして高校生の時に賞を取ったことがきっかけとなって本気でデビューを目指すようになりました。阿部先生 私の場合も、小中学生から友達と漫画を描いていて、お互いに刺激しあって上達してきました。 そして中学を卒業した時に、東京にある父親の知人の会社にバイトに行く機会があって、その時、尊敬する永井豪先生にくじら餅持参で原稿を見てもらったり、少年サンデー(小学館)編集部に持ち込んだりしました。 高校に入ってから雑誌に投稿をはじめ、上京した時は編集部に『持ち込み』しました。そこで、プロの漫画家の生原稿を見ることができたのも経験として大きかったです。 とにかく、自分で切り開いていくしかなかった時代ですね。ー漫画家という職業に就くためにはどうしたらいいのですか。阿部先生 基本的には、出版社が主催するコンテストに入賞することで、あちらからお声がかかります。岡田先生 他にも、出版社に直接原稿を持ち込んで、編集者に見い出してもらうという方法もあります。阿部先生 私自身、漫画の専門学校で講師をすることもありますが、当時は、そういった学校があるわけでもなく、誰も教えてくれないので、自分で道を切り開かなくてはいけませんでした。ーなるほど。今みたいに情報が溢れている時代ではなかったと思うので、ご苦労されたのですね。それでは、漫画家の先生方の仕事内容を教えてください。阿部先生 まずは、題材を決めます。どういった世界観で、どういったストーリーで、どんな流れになるのか。といったように企画全体の大雑把な流れを決めていきます。そのあとに「ネーム」と呼ばれる、下書きのようなかたちで、話を漫画の形式に落とし込んでいきます。このネームがとても大変なんです。岡田先生 頑張って考えても、出版社の編集者に全てボツにされることも多々あります。阿部先生 そして出来上がったネームにそって、場面場面を書き上げていきます。ー作業は一人でされるんですか。岡田先生 いいえ。ネームは一人で考えて編集者とともに作り上げますが、漫画はアシスタントの方と数名で作るのが一般的です。阿部先生 有名な漫画家の先生のアシスタントとして勉強しながら、漫画家デビューを目指す人も多いですね。リアルな体験を積むこと。それはどんな職業にとっても大切なこと。雪国はアーティストを育む ?雪国はアーティストを育む ?新庄まつりユネスコ無形文化遺産登録祈念市にゆかりの漫画家による広報しんじょう表紙イラストリレー企画

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