広報しんじょう 2016年8月9日号
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58 今年もはや8月、いよいよ我らが誇りの新庄まつりが迫ってきた。新庄まつりは、平成21年、我が国の文化や歴史を考えるうえで極めて重要な意味を有する文化遺産として重要無形民俗文化財に指定され、さらに同26年、文化庁によってユネスコの定めた無形文化遺産登録候補に選ばれた。この登録の可否を決する国際会議が、今秋エチオピアで開催予定で、目下その可の吉報を待ち焦がれているところである。「新庄まつり 山車行事保存会」とは 結成されたのは平成21年、新庄まつりが「新庄まつりの山車行事」の名で、国の重要無形民俗文化財に指定される直前のことである。その目的は、伝統の風格高い新庄まつりを後世永く継承保存し、その活用を図ることである。活動は決して十分とは言えないが、主な活動として、「新庄まつり山車行事への提言」の取りまとめと、「新庄まつりシンポジウム」の開催が挙げられる。前者は、市民のさまざまな夢や意見を取りまとめて新庄まつり関係者に配布したもの、後者は、ユネスコ無形文化遺産登録決定をより確実にするため、一段の盛り上がりを世に示すべく、今年1月に開催したものである。新庄まつりの何が それほど重要なのか? 次に、新庄まつりが国の重要無形民俗文化財に指定され、さらにこの度、ユネスコの無形文化遺産登録候補に大正10年(1921)…天満宮祭典の前日、戸沢氏移封300年紀年祭が行われる大正12年(1923)…関東大震災のため、山車は各町内に飾るだけとなる昭和12年(1937)…盧溝橋事件(日中戦争の発端)発生。時局柄、城内天満宮祭礼中止(昭和14年まで)昭和15年(1940)…国中が戦時色一色となるなか、皇紀2600年であるため、神輿渡御のみ行われた。昭和16年(1941)…太平洋戦争勃発。山車・神輿渡御を中止し、平祭りを実施。昭和17年(1942)…大豊作のため、久しぶりに神輿渡御とともに山車が運行。5万人の人出でにぎわう昭和20年(1945)…太平洋戦争終結。終戦後の混乱の中、神輿渡御行列は苦心の末一部実施。昭和21年(1946)…沖の町の山車「羽衣」のみだが、山車が運行。昭和22年(1947)…昭和天皇東北御巡幸で山車をご覧いただく昭和24年(1949)…5月2日、新庄市制記念祝賀行事として共進会が開催され、山車が運行される昭和25年(1950)…城内天満宮祭典が「新庄まつり」になる昭和33年(1958)…この年から、8月24日に夜間照明付き山車が市内を巡行昭和37年(1962)…本合海で、新庄まつり前夜祭として、灯ろう流しと花火大会が行われる。昭和50年まで昭和41年(1966)…まつりの名称が「新庄やたい祭り」と変わる昭和42年(1967)…まつりの名称が「新庄山車(だし)まつり」となる昭和43年(1968)…この年から、新庄まつりがYBCでテレビ放映される。また、まつりの名称が「新庄まつり」に戻る昭和46年(1971)…新庄囃子連盟が設立される。山車はやし競演会(現在の囃子演奏会)が始まる昭和51年(1976)…新庄まつりが、フジテレビ▲昭和21年唯一の山車、沖の町若連による「羽衣」。様々な思いの中で作られたのだろう。▲昭和24年、市制施行を祝う「共進会」の様子。▲昭和41年の新庄まつり。現在の駅前五差路付近から最上公園方向を撮影したもの。特別寄稿新庄まつりのユネスコ無形文化遺産登録を願って新庄まつり山車行事保存会 会長 大友義助新庄まつり、至高の頂へ

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