広報しんじょう 2016年8月9日号
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78前通り等に初めて展示山車を行う(19台)平成16年(2004)…囃子連盟による天満宮奉納囃子、小若連囃子演奏大会が始まる平成17年(2005)…新庄まつり250年祭開催。史上初めて8月24日から27日までの4日間まつりを開催。金山町の山車1台が特別参加…大阪「御堂筋パレード」に参加(上金沢町若連・仁間囃子若連)平成21年(2009)…3月11日、新庄まつり山車行事が国の重要無形民俗文化財に指定平成22年(2010)…東北6県のキャンペーンの一環として、山手線ラッピングトレインに新庄まつりが採用される平成24年(2012)…ダイドードリンコ「日本のまつり」に新庄まつりが選出される。…ITF2012(台北国際旅行博)に新庄まつり囃子が参加。…市内運送会社が新庄まつり山車ラッピングトラックの運行を開始平成25年(2013)…有志が行っていたインターネットによる新庄まつりライブ映像配信を公式化平成27年(2015)…新庄まつり260年を記念し、8月25日にも宵まつり行列を運行平成28年(2016)…新庄まつりが国内32の『山・鉾・屋台行事』とともにユネスコ無形文化遺産に登録される(予定)※年表や本文記事作成にあたり、新庄市史、新庄まつり山車行事調査報告書(市教育委員会編)、新庄まつり公式ガイドブックを参考にしました。 表者の参列を命じた。また、城下の町に対しては、各町内一台の華やかな「芳(かざ)りもの」を作って祭りに出すべきことを命じ、さらに家臣に対しては、天満宮神輿の市中巡行に奉供すべきと命じた。加えてこの祭りに限って、無礼講の祭りにせよと命じたともある。地域住民すべてが心を一にしてこの祭りを盛り上げるというこの基本精神は、260余年過ぎた今日も少しの陰りもなく、世代を通して連綿として継承されているのである。  この新庄まつりが、地元のみならず、県全体の最も貴重な宝であり、誇りであることは言うまでもない。また、この貴重な宝を後代永く継承して子や孫に伝え、その活用を図るべきことは、今この世に生きる私たちの果たすべき義務であり責任であると言っても決して過言ではない。登録を機にどう変わる? 新庄まつりが、私たちが熱望する如く、ユネスコに正式に登録可と決定されれば緒事態はどのように変化するであろうか。 まず目に見える変化として、この祭りへの観光客が増加し、街はいきいきとした活況を見せるだろう。そして、各町内の山車がさらに一段と風格を高めたものに変わるのではないかとも予想される。名誉あるユネスコ無形文化遺産に登録されたとなれば、若連はその名にかけて、競ってさらに見事な山車作りに励むと思われるからだ。 また、目に見えない極めて重要なことは、新庄まつりに対する市民の認識が大きく変化することである。つまり、新庄まつりが当地方のみならず、世界にとっての貴重な宝であり、誇りであることを改めて悟ることで、その重要性の大きさに改めて気づき、自然、新庄まつりに対する各自の見方、評価が大きく変わるはずである。それは、新庄まつりのさらなる隆盛に寄与するだろう。 ただし、このことは各自の心がけ次第である。もし、各自がこのような変化を強く求めれば、必ずやこれを夢や予想でなく、現実のものとして実現することができるだろう。このために、私たちの為すべき大事なことは何か。これは、何か特別なことが必要という訳では決してない。ただ肝心なのは、この変化の重要性を深く自覚し、確かな平常心のもと、己自身について、また、己自身育った故郷について、大いなる誇りと、確固たる自信をもって、日々懸命に生きることであると私は考えるのであるがいかがであろうか。ちなみに、この「日々懸命に生きよ」とは、鶴岡出身の作家、藤沢周平が家族に遺した末期の言葉である。▲まつり250年を記念し、ちびっこ山車まつりが初めて開催。以降折に触れて開催されている。▲平成20年度重要無形民俗文化財指定証書交付式(H21.3.11)▲平成27年は、まつり誕生から260年の年。25日夜に記念行列も開催されました。新庄まつり、至高の頂へ

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