広報しんじょう 2016年8月9日号
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8江戸時代の新庄領そして、郡内の山車まつり 元和8年(1622年)、常州(茨城県)を治めていた戸沢政盛は、新庄へお国替えとなり、現在の最上地方全体と村山市や大石田町、河北町の一部を合わせた6万石を江戸幕府から拝領して初代新庄藩主となりました。そして戸沢家は、その後明治2年(1869年)まで、247年、11代にわたりこの地を治め続けました。 新庄まつりの起源、領民あげての新庄城内天満宮祭典を始めたのは、5代正諶ですが、最上郡内には、山車を作って囃子を伴いながら地域を練り歩く祭りがほかにもあります。それらの祭りと新庄まつりの関わりは明確には分かりません。正諶に対して何らかの示唆を与えた祭りなのかもしれませんし、新庄まつりの雰囲気を自分たちの地域でも作り上げたいと考えた人たちがはじめた祭なのかもしれません。いずれにしても、似通った文化が成長してきたということなのでしょう。 ここに紹介する祭りをさらに調べたり見に行ったりすることで、最上地域について新たな発見があるかもしれません。それはもしかしたら、新庄まつりの新たな魅力発見にもつながるかもしれませんね。 歴史を紐解きながら、もっともっと、新庄まつりを楽しみましょう。大堀まつり(最上町)●始まった年 昭和27年 ●開催日 毎年9月第2土・日●主な特徴 もともとは10月24・25日に実施する豊作を祝う豊年祭で、起源的に新庄まつりとの関連はない。しかし、何十年も前から大堀地区の住民が新庄まつりに参加したり、逆に制作技術を提供してもらったりといった親交がある。◎最上町役場☎43-2111金山まつり(金山町)●始まった年 大正5年頃 ●開催日 毎年8月14~16日●主な特徴 当初は「太鼓やたい」、昭和初めになって「人形やたい」が登場。最初は新庄まつりの山車を借用しており、新庄まつりを模倣して始めたと憶測される。 中日15日の「みこし渡御」では、騎馬の宮司と神輿を中心に、氏子と小学生が大名行列を模して町内中心部を練り歩く。金山城主丹与惣佐衛門にゆかりの八幡神社に「豊作・安産」を祈願するものとして、明治維新頃から始まったとされている。◎金山町役場☎52-2111

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