2017koho07
13/28

新庄の種プロジェクトとは 新庄の種プロジェクトは、平成24年に新庄市役所の若手職員が中心となって、地域資源の再発掘を行うために自主的に結成されました。 職員それぞれが自分の地域の自慢を持ち寄り、報告会などを通して、それらの「種」を共有していきました。この活動の中から、「種」の一つであった「松田甚次郎」に再び光をあて、彼が遺そうとしていた愛郷・愛土のこころを地域に伝えていこうという動きが起こりました。 新庄の種プロジェクトの八鍬代表(市社会教育課)はこう語ります。 「当時、松田甚次郎の成してきたことは、今の私たちからみても凄いことだったと思います。これを地域の人が知らないのは本当に勿体ない。この甚次郎の精神が、私たちの地域のスタンダードになればいいと思いました。」甚次郎の名を再び地域に 新庄の種プロジェクトでは、まず、地域から忘れ去られてしまった、松田甚次郎の名を復活させることから始めました。 平成25年、広報しんじょうと協力し、没後70年を記念した松田甚次郎の特集を掲載しました。この時、同時に雪の里情報館での特設展示と、近江正人氏による記念講演を実施しました。この特設展示には、宮沢賢治の里である花巻市の大石市長(開催日当時)からメッセージを頂いたほか、講演会では、雪の里情報館開設以来最多のの130人もの方々にお越しいただきました。 そのほか、新庄市立図書館や、山形県立図書館の協力により甚次郎に関する図書の企画展示も行われました。 翌年、平成26年には、山形県の社会貢献基金を活用し、甚次郎の生涯をまとめた小冊子の制作や、尾花沢市出身で脚本家のあべ美佳さんを招いたトークイベント、甚次郎に関連する写真のデジタル化、ご存命の塾生へインタビューを行い映像として残すなどの事業を展開していきました。 「今、新庄ではそれぞれの分野で多くの人たちが頑張っています。そういった人たちの精神は、当時、甚次郎がこのまちに抱いていた思いと共鳴するのではないでしょうか。 だから、私たちの活動は、行政の枠を超えて、必然的にそういった人たちと共にやってくることが出来たのだと感じています。」 平成27年には、前頁の新庄演劇研究会の公演を共催し、甚次郎のピーアールとして、大きな成果を残すことができました。また、山形県が主催する視聴覚教材コンクールに甚次郎の生涯を描いた教材を出展、社会教育部門の最優秀賞を受賞しました。この取り組みをきっかけに、山形県の社会科副読本にも松田甚次郎が取り上げられることとなりました。 翌、平成28年、これら一連の取組が全国的な評価を得ることとなります。松田甚次郎という新庄の種をさまざまな取組を通して広く広報したことが評価され、2017年全国広報コンクールの広報企画部門で入賞することができました。没後75周年 その先に 来年は、甚次郎没後75周年の節目の年、新庄の種プロジェクトは今後どのようなことを考えているのか、八鍬代表に改めて伺いました。 「甚次郎の没後、花巻と新庄では、色々な交流があったと聞いています。賢治と甚次郎の絆を、この75周年を機にもう一度見直したいと思っています。 また学術的にも甚次郎の史料は整備されているとは言えません。そこで、元塾生のご家族からも協力を頂きながら、甚次郎の史料整備なども進めていければと思っています。 そして、賢治の精神のもと、全身全霊で地域も社会も耕しつづけた甚次郎の愛郷・愛土のこころを、この地域に根付かせていければと思っています。」2018(平成30年)2017(平成29年)2016(平成28年)●●●山形県社会科副読本に松田甚次郎が掲載9月24日演劇「土に叫ぶ人 松田甚次郎」再演甚次郎没後75周年へここに咲いた花 しんじょうの種と松田甚次郎137▲山形県社会科副読本「郷土 Yamagata」の1ページ▲雪の里情報館で行った特設展示▲甚次郎没後70周年記念講演の様子

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 13

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です