2017koho07
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齢化社会の現代にこそ、改めて地方の活性化に応用できるように感じています。 例えば、甚次郎が作った、農繁期の託児所「隣保館」ですが、共働き世代が多くなっている現代においても重要です。「仕事場の近くに託児所がある」という環境づくりのために、中核工業団地の敷地内に保育所を設置しする構想が進んでいます。まさに「現代版 隣保館」です。近江 女性愛護運動も、疲弊する村を立て直すために女性の力が必要だと感じた甚次郎の優れたアイデアの一つではないでしょうか。市長 現在の新庄では、若い女性の流出が問題となっています。そのためにも、女性が学べる場、働ける場を作っていく必要があり、今進めている看護学校設立構想も、多くの女性に新庄に残ってほしいという考えからなのです。三木 さて、最後に来年は松田甚次郎の没後75年の年でもあります。改めて、甚次郎の成したことと現代の新庄を見てどのようなことをお考えでしょうか。市長 高度経済成長を経て日本の社会は成熟してきました。その成熟とあわせて個人主義が広がりましたが、人間は誰しも「誰かと繋がっていたい」という欲求をもっていると思います。 甚次郎は、80年以上も前の時代から理想的なリーダー像を教えてくれました。そして現在、新庄でも甚次郎のようなリーダーが多く現れはじめています。自らが中に入り、人と人とが繋がりながら「みんなのために」活動していく。これは今の時代にこそ必要であり、まちづくりの根底にあるべきだと考えています。近江 甚次郎は、賢治の思想の実践者として、さまざまなことを残していきました。そして、平成の失われた20年を経て、現代社会と甚次郎が生きた時代には重なる部分が出てきたと感じています。今こそ、私たちは先人の成したことを知り、ルーツとして学び批評し、後世に積極的に伝えていく必要があります。 それともう一つ、新庄出身者には多くの文化人がいます。この土地に生きる人間にはその才能があるのだと感じています。甚次郎が成したように、文化芸術はまちを変える力をもっています。ぜひ皆さんには、地元の文化芸術活動に触れてほしいと思っています。※ロバート・オーウェン(1771〜1858)イギリスの実業家。産業革命が引き起こした社会問題と正面から取り組み、教育を通じて労働者階級を救済し、新しい社会を建設しようとした。就学前の子供のための学校を実践したり、初めて国際的な労働者保護を唱えるなど、今の協同組合の基礎を作ったとされる。ここに咲いた花 しんじょうの種と松田甚次郎177個の時代となってきた今こそ、人と寄りを戻さなくてはいけない 社会が成熟し、個が尊重されてきた現代だからこそ、人は本能的につながりを求めているのかもしれない。kitokitoマルシェや駅前の芝生プロジェクト、空き屋プロジェクトなど、種が育ち芽吹きはじめている。甚次郎が遺してくれた財産である「共働共栄」という考えをまちづくりの根底に残していきたい。

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