2018koho01
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特集地域を守る 1984年京都府生まれ。ダンスインストラクター、作曲家を経て、現在は守山市で埋蔵文化財調査員。2016年、「蹴れ、彦五郎」で第十九回伊豆文学賞の小説・随筆・紀行文部門最優秀賞、「狐の城」で九州さが大衆文学賞大賞・笹沢佐保賞を受賞。 2017年3月『羽州ぼろ鳶組 火喰鳥』でデビュー。同年夏、啓文堂時代小説文庫大賞1位となる。新庄藩の火消しを題材にした羽州ぼろ鳶組シリーズは、『火喰鳥』を始めとし、夜哭烏・九紋龍の三作品が刊行されている。シリーズはまだまだ続く予定。 夕刻、ふと空を見上げると鼓つつみばし星が中天近くに輝いていた。もう冬本番なのだ。新庄は今日も雪だろうかと思いをはせる。昨年までは無かった考えである。 2017年、私は新庄という町に、そこに生きる人に出会った。厳密に言えば今までに二度、新庄の町を訪ねたことがある。新庄まつりのポスターを見て感心こそしたものの、それは旅人の感想に過ぎず、私自身もいわば通りすがりの人であったに違いない。 江戸時代の火消とは複ふくざつかいき雑怪奇な規則がある。そして火消とは庶民の人気の的で、火消とは泰たいへい平の世で最も危険な仕事であった。 この火消を描えがこう。奇妙な規則を打ち破るような痛快な男たち。それは誰よりも命の重さを知っている者でなくてはならない。そして人は何度でもやり直せるということを見せる、私にしか書けない小説を……。 そのようなことを考えてまどろみ、朝日に目を覚ました瞬間、「ぼろ」という言葉がよぎり、図書館へと駆け出した。なるほど、「方角火消」だけが江戸中を管轄にするのだ。それはどこの家かと視線を滑らした瞬間、そこに出羽新庄藩の名があり、全ての物語が繋がった。 11月、国元座談会とサイン会のため私は新庄へ入った。胸中にあった感情は恐怖である。新庄と縁もゆかりもない余よそもの所者が、勝手に新庄を「ぼろ」などと呼んでいるのだ。気を悪くされた方もいるのではないか。私の作品、いや松永源吾らは国元新庄に受け入れられているのか。 その心配は杞憂に終わった。多くの方々が拙著を読み込んでくださり、登場人物の誰々が好きだと伝えてくださった。私の拙い話に一々首を縦に振り、まだ対面したこともない新人作家を最大級の歓待で迎えてくださった。そのとき、私は確信した。 「私の描いた新庄に誤りはなかった」と。こうして私は新庄と本当の意味で出会ったのである。 この原稿をお願いされたとき、今後の展望にも触れてほしいとあった。私の中ではおおよそ二十ほどの物語はすでにできており、結末まで見通せてはいる。だが権威に楯突いてでも、熱く突き進むぼろ鳶組のことだ。作者の意向すら無視して、思いがけない行動を取るかもしれない。そしてこの物語を結末に導くためには、読者の存在は必要不可欠な時代でもある。どうかこの無名作家と伴走していただければありがたい。 新庄に行って物語にも変化が出た。先々については言及しないものだが、この紙面だから、新庄の方々だから、一つだけお伝えしておく。 ――いつか新庄まつりに「ぼろ鳶組」は来る。と、いうことである。そしてこれが私のシリーズ構想の肝になる。それは随分先のことかもしれないが、そのときを心待ちにしていて欲しい。 圧巻の山車を見て、新たな夢も得た。新庄の誇りである『新庄まつり』に源吾や新之助、深雪たちぼろ鳶組の面々が山車になることである。それに見合うシリーズにするため、私は熱を込めて書き続けようと決めた。 最後になりましたが、私のような新人作家を応援してくださる新庄の皆様へ、心より感謝を申し上げます。私に与えられた枚数が尽きようとする今、ちょうど霙みぞれがちらつき始めました。新庄は雪だろうか。やはり思いをはせつつ、筆をおくことにいたします。プロフィール作家 今村翔吾 氏今村翔吾氏からメッセージ71

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