2018koho10
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No.07新庄に眠る伝統と歴史の復活空を舞う 恐ろしくも美しき般若ものづくりの街しんじょう隠明寺凧保存会隠明寺凧保存会隠明寺凧という伝統とその歴史 隠明寺凧は、江戸末期に新庄藩士で父の善蔵が土産に持ち帰った江戸凧をベースに、隠明寺勇象が作った絵柄入りオリジナル凧が発祥とされています。その後、版木(版画で刷るための道具)を制作し、大量生産できるようになり、明治初期に地元に広がりました。しかし、大正時代まで人気を博した隠明寺凧も、街中に電線が増えた影響で凧揚げの頻度が減り、昭和初期に途絶えてしまいます。隠明寺凧という伝統と歴史を復活させるべく1967年(昭和42年)に隠明寺凧保存会が発足されました。 大きな取り組みとして「山形県指定有形民俗文化財」に指定された勇象の版木の復刻に挑みました。とても堅い桜の木を素材とするため、一枚作るのに彫刻刀を何本もダメにしたと言います。かなりの時間と労力をかけ、絵柄8種類の版木の復刻に成功。その版木に墨を付けて、和紙に墨絵を刷り、顔料で彩色を施し、竹ひごの骨組みに貼り付けて隠明寺凧が完成します。文字を見やすくしましたモリサワユニバーサルフォントを使用しています。隠明寺凧の特大サイズを揚げる準備を進める隠明寺凧保存会と、新庄東高校の生徒たち。大会に参加した老若男女で協力して凧を揚げました。 現代の隠明寺凧は揚がりやすさも追及されており、骨組みの作り方にも余念がありません。天然の竹を割って、小刀で1.5mm〜2.5mmの厚さまで削ります。竹の節など重心を意識しつつ、5本×5本で組んだ交点を紐でしばり、横方向の竹を弓のようにしならせます。隠明寺凧は他の凧に比べて、頑丈な組み方がされていてとても丈夫です。日本初の富士山頂での凧上げ大会では、他の凧が強風で軒並み壊れる中、隠明寺凧が日本で最も早く日本一の高さに到達したという逸話を持っているほどです。 隠明寺凧保存会では、凧を作ったり揚げたりする楽しさや喜びを知ってもらうため、今後も伝統と歴史を守りながら熱心に活動を続けていきます。▲隠明寺凧全33種類の絵柄が張られた凧入れ用の手作りケース隠明寺凧保存会 副会長佐々木新一郎 氏平成30年10月10日号(No.730) ■編集・発行/新庄市 総合政策課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 13,800部発行410

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