2019koho08
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東山から採ったばかりの土は木の枝や砂利などの不純物が混ざっています。それを機械で選り分け、水分で調整して粘土にしていきます。粘土を手でこねてから、ろくろの台に乗せて回転させます。職人の手指は一糸も乱れることなく、瞬く間に粘土から器の形を作り出します。粘土作り形成乾燥天保12年開かいよう窯 新庄戸沢藩御ご用よう窯がま 新庄東山焼の歴史は、天保12年(1841年)に初代涌井弥兵衛が新庄藩の瓦師として召し抱えられたところから始まります。 そして時を経て、宮内庁御用達品として買い上げられたことや、山形県代表として大阪万博に出品されるなど、その名声を高めてきました。また、民芸研究家の柳宗悦は、その著書の中で、「美しい青みのある海鼠(なまこ)釉を用いゐて土鍋だとかを焼き・・(中略)土鍋としては、日本中の中で最も美しい」と述べています。 現代では、日用品として市内の店舗や一般家庭で広く使われているほか、芸術品としても積極的に個展の開催や展示会への出展などを行い、その名を広めています。その新庄東山焼の制作方法と技術をご紹介します。4

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