2019koho08
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―――どうして「ものづくり」を仕事にしようと思ったのですか?阿部:初めから何か強い信念があったわけではありませんでした。新庄に帰ってきて偶然「新庄亀綾織」を知り、縁あって就職して、仕事として触れていくうちに愛着のような使命感のようなものが湧いてきた感じです。涌井:きっかけは本当に些細ですよね。私は家業「東山焼」の陶芸教室を手伝った際、子どもに教える機会がありました。そこでの子どもとのコミュニケーションは自分が前からやりたかった「幼児教育」に通じるものがあり、東山焼への興味と上手くマッチして今の仕事に就くことを決心しました。―――職人さんの手仕事には目を見張るものがありますが、技術はどうやって習得したのですか?涌井:先代である六代目や工場の先輩たちから教えてもらったり、見て覚えたりしました。陶芸教室で教える人たちから意識したこともなかったことを聞かれたり、一人では思いつかなかった方法で挑戦したり、そういった姿から学ぶことも多くありました。ただ、我々職人の世界に「習得」という言葉は不似合で、どこまでも上の技術があるからこそ「成長」はしても習・・・・得したと思ったことはありません。阿部:私も上の人たちから教えてもらいましたが、新庄亀綾織は一度途絶えてしまっているので、文献から当時の技術を読み解いたり、手法などを色々試したりして技術よりも知識を増やすことを優先しています。もちろん織物としての生産も行いつつです。―――作業をするときに、どんなことを意識していますか?阿部:私たちが作っているのはいずれ「着物」になる「反たんもの物」です。生地としての品質を保つために細部を見て作りますが、常に意識しているのは「反物」の先にある「着物」としての美しさです。涌井:東山焼では生活雑器を作ることが多く、色や形はもちろん、使用者の満足度にも目を向けています。今は抹茶椀を作るために茶道を習って、使用者の立場を学んでいます。ものづくりは使用した瞬間が完成だと思うので。―――やはり、ものづくりで一番嬉しいのは完成の瞬間ですか?阿部:それはもちろんそうなのですが、CROSSTALK対談紡ぐ者たち」伝統であることの責任   人の期待に応え続けてこその「伝統」新庄東山焼七代目 昭和57年生まれ。新庄南高等学校を卒業し、山形短期大学で幼児教育を学ぶ。その後社会人として子どもに携わる仕事を経験。家業である東山焼の陶芸教室を手伝った際に、焼き物をとおした子どもたちとの関わり方を発見。それをきっかけに25歳で家業「東山焼」を継ぐことを決意した。涌井 大介8

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