2019koho11
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511 この度は、新庄市市制施行70周年、誠におめでとうございます。 新庄市ができたのが昭和24年4月1日、私が生まれたのが昭和25年3月10日。新庄市の方がちょっとお兄さんという感じになるかと思います。 私どもの祖父、戸澤 が第二代新庄市長として4年間、仕事をさせていただきましたので、ちょっと祖父のことをお話ししておこうかなと思います。戸澤  は、最後の新庄藩主である十一代正まさざね実の長男正まささだ定の子です。正実より子ししゃく爵を襲しゅうしゃく爵し、最年少31歳で貴族院議員になりました。その後は約30年間、貴族院議員の鉄道議員として、満州に行ったり、いろいろと活躍したようです。1947年に貴族院が終了したので、その後は新庄に戻り、新庄商工会議所の会頭に就任。1950年からは二代目新庄市長として4年間仕事をしていました。その当時の業績を調べると、市報の発行・デンマーク農法指導農場の開設・県立病院の誘致・最上特定地域総合開発計画の策定などとなっておりました。ちょうど終戦後5年から10年にかけての時期ですので、そのような振興施策をたくさん考えられたのかと思います。退職後は新庄を離れて鎌倉に移り、1960年に亡くなるまでは娘家族と過ごしました。 これからの新庄について、何か一つないかなと考えたのが、新庄がお年寄りにとって一番幸せな街になることです。小説「羽州ぼろ鳶組シリーズ」を読んでいる方もいると思いますが、連続する緊張感の中に常にあるのが、人間味あふれる優しさです。新庄の人が持つこの優しさをもって努めれば、お年寄りが助けを必要としたときに、番付で言えば「お年寄り幸せ番付日本一」そのような将来も有り得るかと思います。何かメリットを世の中に発信できれば、それが広がっていろんなことが新庄の発展につながるのではないかなと思いました。 ラグビーワールドカップが開催されていますけれども、ラグビーには「ノーサイド」という素晴らしい言葉があります。あれだけ激しい試合をしたのに、終わった後はたたえ合う。お互いを尊敬しあう。素晴らしいスポーツだと思います。最近市長選があって激しい戦いになったとお聞きしましたが、激しい戦いの後には軋あつれき轢が残ることがたくさんあります。ぜひ新庄市民の幸せのために、その軋轢を取り払って「ノーサイド」。皆さまの力をあわせて、ますます素晴らしい新庄市にしていっていただきたいと思います。特集 新庄市市制施行70周年を記念して戸澤家十五代当主戸とざわ澤 充みつる 氏▲市表彰受賞者(左から佐藤榮一氏、黒川信也氏、中部道子氏)▲小説「羽州ぼろ鳶組シリーズ」作者の今村翔吾氏▲高校生による「新庄市の未来に向けた宣言」まさおと

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