しんじょう時間 2013冬号
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◆「うまい納豆」取り扱い店舗東京地区……大丸(東京店)、髙島屋(日本橋店・      東武百貨店(池袋・船橋店)、マルイ名古屋地区…松坂屋(名古屋店)、髙島屋(名古屋大阪地区……大丸(梅田・神戸店)、京阪百貨店仙台地区……三越(仙台店)、さくら野(仙台店)Megum頭(新庄市宮内)七所明神は、第十五代天皇、応神(おうじん)天皇の第二皇子である大山守命(おおやまのみこと)のお身体七ケ所をそれぞれ祀った神社と言われています。なぜ七ケ所の神社が作られたのか?それにはこんな物語が伝えられています。 四世紀初頭、大山守命は次期天皇の座を辞退し、東路を目指して旅立ったという。このことを知った悪臣どもは、大山守命こそ東国に下って軍勢を催し、やがて帝都に攻め登るであろうと言いふらしたため、天皇となった兄(仁徳天皇)の連臣(家臣団)から命を狙われるはめとなった。 大山守命は、転々と逃れたのち、最上川下流にある現在の庄内町で捕らえられ、連臣から斬られたという。大山守命がいまわの際に残した言葉は、「我思うところあり、我を7つに切りて、最上鮭延庄に持行き7ヶ所に奉祀すべし。」ということであった。 ところが、連臣は誤って八つに切ってしまった。遺骸は舟に乗せられ最上川を遡り、舟形に着岸した際に八つのうち一つが投げ捨てられてしまう。この地を「投げ沢」と呼んだが、後世の人が誤って「名木沢」の字をあてるようになった。 七つの遺骸は新庄を中心に二、三里おきに埋め奉った。七つの塚はたちまち霊端を現わし、あるいは少女の姿で現われ、「我を神として祀れ。しからば人民を護り、諸々の願いをみたし、国土を豊饒ならしめん。」と告げた。お告げのごとく、人々は堂舎を建てて、厚く尊崇した。これが現在の七所明神です。この不思議な伝説が信仰となり、病を治す神様、健康祈願として、今も参拝されています。 宮内七所明神社頭の病に良いとされる明神様。本殿右隣には知恵を授ける文殊堂が建っている。胴(新庄市升形)升形七所明神社安産祈願の明神様。内陣にある胴体の模型を、妊婦が撫でると安産にしてくれると言う。左手(新庄市鳥越)鳥越八幡神社境内七所明神社左手治癒の明神様。拝殿中央に木で作られた左手が祀られている。右手(新庄市角沢)角沢八幡七所明神社右手治癒の明神様。男根(新庄市本合海)左足(戸沢村下松坂)右足(鮭川村京塚)本合海八幡神社境内七所明神社「子授けの神」として篤い信仰のある明神様。※数年前に失火により焼失松坂七所明神社 左足治癒の明神様。京塚愛宕七所明神社 右足治癒の明神様。Q.お店を始めて何年ですか♪̶昭和23年に父親がこの場所で納豆製造を始めました。私は昭和49年頃から家業を手伝いながら納豆を作り、今は息子も出張販売などを手伝ってくれています。Q.納豆へのこだわりは何ですか?̶まずは納豆に適した大豆選びですね。原料が美味しくないと当然美味しい納豆は出来ません。創業当時から作っている「最上納豆」は国産の大粒大豆・タチユタカを使っていて、今でも昔ながらの経木に手作業で包んでいます。 丁寧に水洗いしてから、丸1日浸漬し、その後、圧力釜で蒸しあげて、発酵させます。全部で5日間かけて丁寧に作っています。目に見えない納豆菌を“おだてて”うまく働いてもらわないといけない。それが一番難しいんです。Q.出張販売するきっかけは何ですか?̶全国納豆鑑評会というものがありまして、平成7年に優秀賞をいただいたのがひとつのきっかけです。その後、作家の嵐山光三郎先生が肘折温泉に来た時にうちの納豆を召し上がられて、「納得の味。これこそ昔ながらの味。」と新聞の全国紙に紹介していただいたんです。次の日には朝から注文の電話が鳴りっぱなしで。それから、都内の百貨店の山形物産展などでも販売するようになりました。今では、関東以外にも大阪、名古屋など、年に数十回出張販売に行っています。Q.最後に一言お願いします。̶お客さんから「美味しい」と電話やハらうとありがたいし、やってて良かったす。出張販売の会場でも、新庄出身のかけてくれたり、新庄の話で盛り上がるなりますね。 納豆はとにかく身体にいいんです。に常時置いてもらっている百貨店もで、お近くにお越しの時はぜひ「新庄の試しください。

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