8月26日(土)に選考会を開催し、以下の山車がそれぞれ最優秀山車として決定しました。
決定した山車は、新庄ふるさと歴史センター・お祭りホールにて1年間展示されます。
最優秀展示山車(歌舞伎部門)
千門町若連 「風流 歌舞伎十八番 外郎売」
富士の巻狩を催すために小田原を訪れ、富士山の麓の大磯の廊に骨休みをした御狩総奉行・工藤左衛門祐経。十八年前、工藤に父、河津三郎祐泰を討たれた曽我五郎時致は、郎売に身をやつし、敵討ちに乗り込んできます。そこを「兄・十郎祐成とともに仇討ちすべき」と小林朝比奈にたしなめられ、「ここに兄さえいれば」と無念泣きする。工藤は「富士の巻狩の総奉行を務めあげたら兄弟の仇討ちに応じる」と約束し、五郎に狩場の絵図面を投げ与えます。
日本三大仇討ちの物語のひとつ「曽我物語」を題材に、五郎と工藤の対面を描いた演目です。
(風流解説/新庄まつりかわら版より)
最優秀展示山車(物語部門)
大正町若連 「風流 遮那王『万里鵬翼 牛若丸』」
平安の乱で勝利した平家は、栄耀すさまじく一門は公卿殿上人に列し、諸国の受領その半ばを独占、ついには「平家に非ずんば人に非ず」とうそぶかれていました。
鞍馬の寺に預けられていた牛若丸は、遮那王と名付けられ、大天狗と鳥天狗を相手に、毎日修行に励み武術を極め、源氏の再興と平家の討伐を志しておりました。
同じころ、京の都では弁慶が千本目の太刀を奪おうと、五条の橋で次の相手を待っていました。すると眩しい光が差し、いつの間にか橋の欄干に少年が笛を吹き、立ち塞がると、次の瞬間には鳥のように羽ばたきました。遮那王は、弁慶の凄まじい攻撃をものともせず、宙を舞い扇を投げつけ、かわし続けました。力尽きた弁慶は降参し、忠義を誓うのでした。
その後、自ら髪を切って元服した遮那王は、源九郎義経と名乗り、ただ一人の家来、武蔵坊弁慶とともに、「万里鵬翼」遠く隔たった地へ旅立つのでありました。
(風流解説/新庄まつりかわら版より)
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