20040709
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9広報7.9 2004いきいき新庄人おいしいみそを食べてもらいたい今田カツ子さん(野中)二月に横浜の中心地と東京・渋谷を直結する「みなとみらい線」が開通しました。所要時間三十五分間と乗り換えのない便利なアクセスにより、観光客が十パーセントも増えたそうです。この新線を利用し、先日、友人と中華街で食事をし、近くの丘の上のイタリア山庭園を散策しました。その中にひときわ美しい洋館が建っており、重要文化財「外交官の家」として紹介されていました。この洋館は明治時代に活躍された内田定槌さだつち外交官の邸宅として明治四十四年、渋谷・南平台に建てられたものです。孫にあたる宮入清・久子さん夫妻が相続してお住まいでしたが、平成九年に横浜市に寄贈されたものです。東京在勤中だった弟が奇遇な縁で宮入さん夫妻と懇意になり、二度も来新され、拙宅を宿に最上、庄内を観光されました。新庄では瑞雲院の御廟所を見学されたとき、宮入さんの学習院時代の恩師・戸澤富寿先生(戸澤家十一代藩主・戸澤正實まさざね公の次男)の祖先の墓所と分かり、偶然に恩師の墓参りができた喜びを卒業生の会報に寄せていました。会報によると戸澤富寿先生は、学習院高等科、東京大学理学部を出られ、学習院で長いこと教鞭を執られ、ハンサムでダンディな人気の高い先生だったことや、戦争末期の昭和二十年五月に麻布材木町で被災され、隣町の霞町で辛くも被災を免れた宮入家に一時停留されたこともあるそうです。宮入さんの墓参りは感慨一入だったことでしょう。また、富寿先生の三男・孝寿さんは東急車輛会長や横浜商工会議所副会頭の要職にあるのも奇遇です。横浜・石川町駅近くの邸宅には当時の資料も展示してあり、明治、大正時代にタイムスリップしたようでした。邸内から港を眺めているうち、新庄駅が開設した明治三十六年、後の町の発展ぶりを想像し、新幹線の開通にあやかって再び活況のある街にと念じています。「みその仕込みは、雑菌の入らない冬の寒い時期、正月明けから3月までのほとんど毎日しています。忙しい時は作業所に泊り込んで作業を続けています。厳しい作業ですが、仲間たちとみそを作りながら世間話をして過ごす時間がなによりも楽しみです。最近は、ゆめりあや産直まゆの郷でも私たちのみそを売ってもらうことができ、青森や関西方面の方から、おみやげで買っておいしかったから送ってくださいと電話をもらったり、市内の方々からもおいしいと言ってもらえることが何よりもうれしいです。最初は農家のじいさん、ばあさんの内職程度と考えていたことが、いろいろな良い体験をさせてもらいました。たくさんの人に助けてもらって今があります。これからは、若い人たちが新しいことをやっていこうとしていますので、温かく見守り、必要があれば、おばあちゃんの知恵をちょっと授けることができればいいなと思っています」とほほ笑みながら語る今田さんには、苦労を重ねてきた人の温かさがにじみ出ています。「わたしたちは、農家としてこだわって作った大豆や米と厳選した塩を使い、無添加で昔ながらの味、本当に納得のいくみそを作り食べてもらいたいと思っています。そう思ってやってきた3つの家族のがんばりがここまでになりました」と語る今田さんは、昭和62年から減反で作った大豆の消費拡大のため、みそ作りを思い立ち、同じ集落の仲間3家族で野中みそ生産組合を立ち上げました。「みそは仕込んでから出来上がるまで約1年かかります。家庭の味としてのみそは作ってきましたが、商品として売り出すために約2年間、さまざまな種類の大豆やこうじ、塩を使ってみそを作り、何人にも試食してもらったり、検査機関に依頼し化学的に食味や成分を調査してもらいました。その試行錯誤の結果、金持豆と玄米をこうじに使った今の野中玄米みそができあがりました。始めたころは、農家が加工食品を作り販売することは珍しく、みそはできても、包装や販売するための許可・販売方法などを知らないために多くの失敗を繰り返しました」とみそを商品化するまでの苦労を語ってくれました。奇遇な出会いB新庄藩江戸家老門屋盛孝さん(元フジテレビ・ドキュメンタリー部長)▲みそ作りでの仲間との会話がなにより楽しみ
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