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広 報 4平成18年4月10日号(No.580) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996–8501 新庄市沖の町10–37 TEL.0233–22–2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,200部発行 見・所・探・訪新庄城址(最上公園)~市指定史跡~明治7年に開校して、これまで約2,500人の卒業生を送り出してきた角沢小学校。同窓生や地域の人々、学校関係者など約200人が見守る中、全児童36人で「夢を持ってはばたこう」とお別れの言葉を述べ、最後に校歌を合唱。角沢小の伝統は日新小に引き継がれていくことになりました。131年の歴史に幕~角沢小学校閉校記念式典~月末現在の新庄人40, 894人 (41,230人 )21, 289人(21,486人 )女19,605人(19,744人 )男13,446世帯(13,432世帯)世帯数2月の異動28人(19,826人)出 生30人(19,833人)死 亡59人(19,847人)転 入68人(19,896人)転 出※( )は1年前の住民基本台帳再生紙100%と環境にやさしい 大豆油インキを使用しています 新庄城は、新庄藩祖・戸沢政盛が寛永2年(1625)に築いたと伝わる城で、243年間、江戸時代を通じて戸沢氏の居城だった。本丸奥に三層の天守閣がそびえ、北半分に城館、三隅にやぐら、周囲に土居と堀をめぐらした近代的な平城であった。明治戊辰戦争の折、市街地とともに焼失。現在は、当時の堀や石垣を残し、戸沢神社・天満神社・護国神社がまつられる「最上公園」として市民に親しまれている。桜の名所でもあり、春には約350本の桜が色づき、カド焼きまつりなどでにぎわう。表  紙の写  真 旧暦三月三日、農村のこどもたちの行事だ。それぞれ地域で異なるが、山の神を 祀 る。この日は、大人も山まつ仕事を休む。 木でご神体をつくり、目鼻をつける。ごちそうを添えて、山の神に供える。 泉田では、 朴 の木を切ってほう二、三本立て、各家から 藁 わらを集めてお 柴 燈 をする。小さい とう月野では、五〜十五歳までの男の子が、山の神のご本尊二体を抱え、手に手に棒状の像をつくり、縄でつなぎ家々を回る。土間を叩きながら唱える。「山の神の勧進 米なら一升 銭なら四十八文 銭倉 金倉積むように」。各家では、銭か米を寄進し、家内安全を祈る。 こどもたちは、その年の宿の家で、寄進米で飯を炊いてもらう。山の神の社に集まって、供えて食べ、一晩中あそび楽しむ。また、こどもたちが山の神のご神体を持って各家を回る。各家では、ごちそうの膳をつくっておき、ご神体に供えるところもある。 山の神は、この日からお田の神になる。絵=三条正美、文=笹喜四郎(昭和六十一年新庄市発行)山の神の勧進

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