20100909
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   WARASUKO HIROBA MEGO² NEWS WARASUKO Hめごめご通信第6号10入場無料●42 西南戦争の舞台裏〜西郷家と北ほう条じょう巻けん蔵ぞう〜 明治十年一月、新政府の士族解体策等に不満を抱く鹿児島の私学校党の一派が、反政府運動を起こした。私学校は、征韓論に敗れて下野した西郷隆盛が設立した学校である。専制的だと政府を非難する生徒らの激昂に押されて、翌二月、西郷は約三万の兵を率いて決起した。西南戦争の始まりである。 このころ、現地でその様子をつぶさに見ていた旧新庄士族がいた。北条巻蔵である。北条は、明治八年十一月東京師範学校を卒業し、同九年二月、開校近い鹿児島師範学校に訓導として勤めた。師範は同年九月に開校した。しかし、彼は、明治十年二月二日、辞表を提出した。その理由を語る記録は何も残されていないが、この日は、西郷が反政府へと燃え上がる周囲の勢いを止め難く、決起を決意した日であった。 後年、北条の同僚となった中なか野の豊とよ政まさが、「先生の逸話」として、北条が大山鹿児島県令を介して西郷の密書を依頼されたが、福岡県久く留る米めにおいて捕らえられ、襟に縫いこんでいた密書は飲み込んだ、と記している。密書の宛先や内容は不明であるが、西郷が庄内藩に援軍を依頼したもふれあい  学びあい緑輝く いきいき 新庄 八月は、お盆休みを故郷で過ごす帰省客や、学校・幼稚園が夏休みということもあり、「わらすこ広場」には多くの来館者が訪れました。 連日、テレビや新聞で熱中症のニュースが流れ、新庄でも湿度が高く猛暑が続きました。暑い中わらすこ広場にやって来た方々は、エレベーターから降りたとたん安心したような笑顔を浮かべていました。来館者からは「この暑さでは家の中でも暑いし、どこで遊ばせて子どものストレスを発散させるか、悩みのたねだ」との言葉が聞かれました。 一年に数回しか会えないからと、帰省中のお孫さんや娘さんを連れて楽しんでいるおじいちゃん、おばあちゃん。同級生や友だちと待ち合わせをし、久しぶりの対面に互いの子どもの成長を確かめ合い、子どもを遊ばせながら楽しくおしゃべりをしている若いママたち。また、お盆で忙しいお母さんに代わり、おむつを替え、面倒をみているお父さんなど、多くの方に「わらすこ広場」を利用していただきました。 子どもは「遊び」から成長します。子どもの成長にとって一人遊びもなくてはならないものですが、自由な環境の中に「一人でも遊べるし、みんなでも遊べる」ことが大切です。 「わらすこ広場」で子どもたちがのびのび遊ぶ姿を見守りながら、職員も地域の人とのかかわりの中で、思いやりの心や支えあいの大切さを学んでいます。これからも、ともに成長を喜び合える、人と人が出会う場・子育ちの場・親育ちの場として、ほっとできるような広場として「わらすこ広場」を安心して集える居場所にしていきたいと思います。〈九月の予定〉◇十七日㈮ めごめご子育て講座     「消防署見学」◇二十一日㈫ めごめご子育て講座      「小児救急」◇三十日㈭ 子育て交流遠足月9遊びの広場と    巡回相談9/14㈫・28㈫ 保健センター9/16㈭ 八向地区公民館9/21㈫ わくわく新庄◎新庄市地域子育て支援センター (わらすこ広場内)       ☎22-51158月もたくさんの子どもたちが遊びに来てくれました猛暑でにぎわった「わらすこ広場」  こWARASUKO HIROBAわらす広場わらすこ

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