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表紙の写真めんそーれ(ようこそ)新庄へ! ―沖縄中部広域市町村圏児童交流― 最上広域と交流を続けている沖縄中部広域の児童交流団81人が、新庄市を訪れました。これは、沖縄の子どもたちに雪遊びを体験させたいと、毎年冬に実施しているものです。訪問を受けた北辰小学校では、児童が合唱や花笠踊りで歓迎し、お返しに交流団は沖縄の伝統芸能を披露。児童の名刺交換も行いました。最初は緊張していた子どもたちは、一緒に雪遊びをする頃には打ち解け、笑顔で会話も弾んでいました。平成24年2月9日号(No.650) ■編集・発行/新庄市 総務課 〒996‒8501 新庄市沖の町10‒37 TEL.0233‒22‒2111 ■制作・印刷/共栄印刷株式会社 14,000部発行環境にやさしい植物油インキを使用しています12月末現在の新庄人38,626人(39,035人)女20,157人(20,368人)男18,469人(18,667人)世帯数13,488世帯(13,464世帯)12月の異動出生 23人 (24人)死亡 51人 (50人)転入 54人 (47人)転出 68人 (29人)※( )は1年前の住民基本台帳〽こんにちは さよならある日 喜びの日 一年間は早い。あっと言う間に十二月となる。錦秋の紅葉も終わり、東の山もすっかり雪となる。昔から山に三回雪が降ると里が真っ白になると言うが本当である。皆さんも年末の時季で何かと忙しいことでしょう。今年の初めは何年ぶりの大雪になり、大変であった。来年の辰年はどうでしょうか。 大雪、冬至になると一夜で銀世界となる。外遊びが家など内での遊びに変わる。学校から帰ると神社に集まり、何十年も前から地蔵様に集まった小石で、石なごこまめという遊びをした。先月も少し書いたが、これにもさまざまな遊びがあって、手の甲に小石をあげて、もう一つを拾い、甲の上の石を空に上げて地面に落とさずにつかみ取るという遊び方もあった。そのとき歌うのがこのあそび唄だ。〝かぎりのかまどのローソク配った恵比寿の尻けっつさ 三十三枚膏こう薬貼っても治らないテナ ローソク配った二文借りのローソク配ったまた一丁貸した〞 女の子の家の中での遊びは、てまりつきや「じゅうすつ(お手玉)」つきなどがあった。じゅうすつは、小さな袋に大豆や小豆を入れた手作りのものだ。じゅうすつつきでよく歌ったのが近江八景という唄だ。〝三井寺の鐘の音 澄み渡る夕暮れ初雁も堅田に 声たてて追いつきぬさびしげの琵琶湖は 今もなお青空秋の風 いつかたつ昔の鐘ひらの 老いの松雨か波か 一丁あがり〞唄が終わると、次の人にじゅうすつを渡して数人で遊んだ。 十二月末になると、どこの家でも忙しくなる。昔は家々で自家製の納豆を作った。正月中に食べる納豆をまとめて年末に作る。ワラ苞つとに熱い煮豆を入れる。十数個の苞をまとめてワラで包み、さらに筵むしろで覆い保温してこたつに寝せたりして納豆を作った。納豆作りの唄もあった。〝納豆太郎 納豆太郎かんぶりざから糸引いでこい〞納豆作りは正月の準備に欠かせない仕事であった。〽師走月 新聞広告厚くなり 我が家の家族 集いて見入る広報2〽節分の豆ひとつ食べ 歳一つ 二月如月となり、暦の上では三日は節分で、四日は立春だが春はまだ遠い。昔から諺に「小寒大寒余寒三十日は酒の寒(燗)で良い」とある。きさら月は晴れ間でも風が吹くと寒いのでもう一枚着る。きさらは三寒四温である。平成二十四年は、壬みずのえたつどしうるうどし辰年閏年の当たり年である。旧暦月は三月が二度あるから、春は暖かさが少々遠くなるかと思われる。 二月も中旬頃になると時々お日様も顔を出し、晴れ間が見えて、北西の風が吹き、凧揚げの季節となる。今は子どもの凧揚げは見られなくなった。爺が子どもの頃は、自分で凧を作って遊んだ。昔家にあった屋号入りの番傘を材料に、友だちと二人で作った。少々古くなった傘の骨が乾いた細竹で、凧を作るのに一番良かった。傘を勝手に壊して作ったので、父母に「傘壊したな」と叱られた。凧の絵は自分なりに描いて出来上がり。寒い風が吹いても面白くて、凧よ天高く揚がれと一生懸命に揚げた。カスベ凧(エイ凧)も作った。ハギを二つ割にして一本を中骨にして作って木綿糸で揚げた。 五、六年生になるとそりの小さいものを自分なりに作った。薪小屋から材料になる木を見つけて、鼻先を曲げそりの型を作り、ハタハタやニシンの空箱を上にあげ、中にワラを敷く。この手作りのそりで小高い坂を滑り、男女仲良く遊んだ。 スキー乗りもよくした。子どもの頃は立派なスキーを足にすることは出来なかった。お父さん手作りのスキーストックは細い木の先に〝ワラボッツ(わらを丸めたもの)〞が付いていた。それにワラで作った長靴(じんべえ)を履き、坂を滑り降りる。これが爺のスキー遊びだった。 冬になると田も畑も一面雪に覆われ、スズメなどの小鳥たちの食べるものも少なくなる。そこで、わなを作って小鳥を捕まえる遊びもした。馬のしっぽの毛をとり、稲穂と一緒に編んで〝ヒコクス(わな)〞を作り、ワラで作った〝べんけい〞に巻く。木の枝に下げておくと、稲穂を食べに寄って来たスズメやカケスなどの小鳥が馬のしっぽの毛にひっかかる。それを取って焼いて食べた。昔はおいしいごちそうだった。〽雪やんで にっこり笑う春の陽か自然豊かなふるさと新庄。昔の子どもたちはこの自然を活かしさまざまな遊びを見出し、日が暮れるまで野山を駆け回って遊んだ。現代ではなかなか見られなくなった、爺の子どもの頃の遊びを季節に合わせて紹介します。 文:伊藤佐吉さん(仁田山)佐吉爺の子あれこれどさきちじいも遊び壊壊なな佐佐吉吉爺爺さきちじいきちじいじんべえヒコクス

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