昭和12年、雪調では疲弊していた雪国農村を立て直そうとしていました。特に冬場は現金収入が無く、雪調では、農家の「副業」について何か良い手だてはないかと模索していました。当時、農家の人々は俵や蓑などの「わら仕事」をして、翌年の農作業に備えましたが、それは、あくまでも翌年への準備であり、そのものが現金収入に つながるものではありませんでした。
雪調の山口所長は、この技術が副業として成り立つのではないかと考えました。そして、当時、東北民芸の技術と芸術性に惹かれ、その振興に尽力していた日本民藝館館長の柳宗悦・陶芸家の河井寛次郎などの民芸運動家とともに様々な民芸品展や民芸振興会などを開催し、民芸は雪国振興(今でいえば村おこし)の起爆剤となりつつありました。
雪調と民芸
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