世界的にも有名なモダニズム・インテリアデザイナーのパイオニアであるフランスのシャルロット・ペリアンと山形・新庄は、なぜ関わりがあるのか?不思議に感じる方も多いことでしょう。それは、この地にあった『積雪地方農村経済調査所(雪調)』と民芸運動、そして、ペリアンの来日という3者の出会いがあったのです。
ペリアンの来日

ペリアン、新庄に来る

ペリアンによる展覧会『創造・伝統・選択』
戦時色が強くなった昭和16年3月、商工省はペリアンとの契約を続けることができなくなりました。それでも、滞在7ヵ月でペリアンは東京と大阪の高島屋で『創造・伝統・選択』という展覧会を開きます。意図するところは、「伝統技能を生かして、新しい生活にあうように選択し、創造する」ということです。
この展覧会は日本のデザイナーたちに大きな影響を与えました。また、戦後、通産省によるグッドデザイン賞の原点になったとのことです。
ペリアンの離日と民芸運動の終焉
昭和16年12月、日本は太平洋戦争に突入しました。ペリアンはフランスへの帰国船がなく、しかたなく、昭和17年、仏領インドシナ(ベトナム)で4年間ほど暮らします。また、雪調を中心とした民芸開発も戦時下の物資統制、行政機構の改編などで自然消滅の憂き目をみることとなりました。
戦後のペリアン

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