松田甚次郎(まつだじんじろう)
1909年(明治42年)から1943年(昭和18年)
稲舟村鳥越の旧家の長男として生まれる。盛岡高等農林学校修了。
宮沢賢治を訪ね、小作人たれ、農民劇をやれと諭され、これを生涯の実践課題として取り組み、帰郷してからは最上協働村塾を開き、全国から集う塾生とともに農耕にはげみ、経営の合理化を図った。また、高松宮家から奨励の資金を賜り、鳥越隣保館を建設した。
実践記録「土に叫ぶ」はベストセラーとなって新国劇で上演されたり、「宮沢賢治名作選」を発刊して賢治文学の普及につとめたが、激しい労働と疲労から、わずか35歳で没した。
<新庄ふるさと歴史センター郷土人物館より>
松田甚次郎の生涯
生い立ちと出会い
松田甚次郎は明治42年3月3日、市内鳥越の自作兼地主の裕福な農家に長男として生まれました。
甚次郎は日新小学校を卒業後、村山農学校を経て大正15年に盛岡高等農林学校農業別科に進学します。それは、宮沢賢治が花巻農学校を退職し羅須地人協会(賢治が岩手県花巻市に設立した私塾)を設立した年でした。大正15年4月1日岩手日報朝刊に掲載された、羅須地人協会設立に寄せて賢治が語った記事を見た甚次郎は、盛岡高等農林学校卒業間際の昭和2年3月に賢治を初めて訪ねます。その時、甚次郎が賢治から「小作人たれ」、「農民劇をやれ」という二つのことを諭されたといいます。
最上共働村塾の設立
村に帰った甚次郎は、父に60アールの田を借り耕作を始めました。同時に、村の青年を集めて鳥越倶楽部を結成し演劇活動を始めます。彼らは、鳥越八幡神社に自分たちで土舞台を築き、36回もの上演を行いました。
また、甚次郎は、農業恐慌により疲弊していく村の生活を守るために、自給自足的農業経営を実践、村に消費組合などを組織するとともに、禁酒や婦人の地位向上運動などに力を注ぎました。また、衣類や味噌などの食品の自製、缶詰加工など、自給自足を基本に置きました。これらの甚次郎の活動は当時あまりにも型破りだったので、一部の人々には、左翼的危険思想の持ち主と疑われました。
その一方で、彼の活動を知った青年たちが全国各地から集まります。昭和7年、鳥越の南にあった古い小屋を借りて塾舎とし、最上共働村塾と名付けました。多くの住民がお互いの役割と責任を認め合い、相互関係を深めながら「共に働く・行動する」関係を築いていくという意味が「共働」には込められています。
塾生は四時に起床し、午前は農村や社会、政治の問題・農業経営・青年教育などの研究会、午後は畑仕事や堆肥作りを行い、夜は村塾の趣旨やその経営、行事などを論じ合いました。
「鳥越隣保館」の設立
昭和8年、甚次郎は有栖川宮記念厚生資金を授与されます。すると、それまでの彼に対する見方も一変しました。そして、この資金をもとに、村人の協力を得て「鳥越隣保館」を建設し、農繁期託児所を開きました。共同浴場の開設、鳥越出産扶助会を結成するなどの活動を展開しました。
このころから、甚次郎の実践は全国の人々から注目され、多くの見学者が訪れるようになります。また、その活動は、多くの新聞・雑誌によって紹介され、講演や講習会の講師依頼が相次ぎました。
郡内はもちろん、庄内・村山地方、また県外は新潟・秋田・丹後あたりからも講演を求められて、多忙を極めましたが、疲れた体に鞭打って出かけ、熱弁を振るいました。
実践記録「土に叫ぶ」出版
次いで翌年、師・宮沢賢治の作品集「宮沢賢治名作選」を出版し、賢治の文学や思想を広く人々に知らしめるきっかけとなりました。
突然の死
昭和18年は史上まれにみる干ばつの年でした。甚次郎は多忙を極める毎日を送っていましたが、村では神仏の力に頼るよりほかなしとして、こぞって新田川の水源、八森山に雨乞いに登りました。連日の過労に続く、無理な登山は甚次郎の体力を奪っていきます。かろうじて帰宅したものの、病に倒れ入院することとなります。そして、その病は癒えることなく、8月、35歳の若さで土に帰っていきました。
「熱い新庄人」松田甚次郎。彼が心身を砕いて挑戦した農村振興の試みは、現在においても、色褪せません。目の前の難局を乗り越え、果敢な挑戦を続けた彼の生き方は、今の時代にこそ学ぶべきなのかもしれません。
広報しんじょう平成25年12月号特集「理想郷(イーハトーブ)に生きた男たち」より抜粋
「土に叫ぶ」松田甚次郎が遺したもの(デジタルブック)

甚次郎の生涯をまとめたデジタルブックです。
宮沢賢治と甚次郎。そして甚次郎がその短い生涯で遺したものを紹介しています。
また、次の4名の方々から甚次郎にたいする思いを寄稿頂いています。
- 佐藤友紀:米沢女子短期大学生(寄稿時)
- 渡部泰山:山形大学大学院教授
- 近江正人:詩人
- 斎藤たきち:詩人・評論家
制作:新庄の種プロジェクト
協力:共栄印刷株式会社
平成26年度山形県NPO活動促進補助事業
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